ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」

ナカノシマ大学2月講座 「街から読み解く手塚治虫」
開催日 2015年2月11日(祝・水)
時間2:00PM〜4:00PM頃(開場1:30PM〜)
会場 大阪市立科学館 研修室
講師 加藤賢一、田浦紀子、長﨑励朗
受講料 2,200円(お土産付き)
定員 80名
主催 ナカノシマ大学事務局 大阪市立科学館

街から読み解く手塚治虫

作品にも頻出する大阪の街と手塚治虫の関係を、さまざまな人々の証言によって紹介。
科学館所蔵のお宝公開&手塚ゆかりのお土産も!

講師/加藤賢一(前大阪市立科学館館長)
田浦紀子(手塚治虫研究家)
長﨑励朗(京都文教大学専任講師)

「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫は、大阪にとてもゆかりの深い人物だった。幼少期から家族で何度も中之島に足を運び、マンガ家になる前は大阪大学付属医学専門部に通っていた。また、手塚作品を細かく見ていくと、大阪のさまざまなスポットが描かれていることがわかってくる。
そんな手塚の足跡や作品との関連性をライフワークとして研究しているのが、2014年7月号でも登場してくださった田浦紀子さん。今回は田浦さんの研究成果である「虫マップ」を軸にしながら、さまざまな人たちの証言によって、手塚と大阪の街の結びつきを読み解いていく。
会場となるのは、少年時代の手塚が魅了されたプラネタリウム「カール・ツァイスⅡ型」を保存・展示する大阪市立科学館。直筆サインが入った記念色紙など、所蔵品も特別公開してもらう。さらに、手塚ゆかりのお土産も用意。手塚にまつわる場所・人・ものによる濃密な時間をどうぞお楽しみに。

スペシャル1 アジア初のプラネタリウムを見よ。
手塚をはじめ、多くの人を魅了したプラネタリウムの実物が、今も科学館に展示されている。ドイツのカールツァイス社が技術の枠を結集して造った名機を、学芸員の方の解説でご紹介。

スペシャル2 「物語」のあるお土産付き!
クリアファイルプラネタリューム
今回のお土産は2つ。手塚が愛したプラネタリウムの写真がデザインされた大阪市立科学館特製のクリアファイル。また、そのプラネタリウムが由来となったお菓子「プラネタリューム」も一緒にどうぞ。

加藤賢一
加藤賢一さん
前大阪市立科学館館長。前身施設の電気科学館勤務時代に、テレビ番組の取材で手塚と科学館の関わりを知り、手塚を招いた講演会に携わる。

田浦紀子
田浦紀子さん
ゆかりの地を記した研究誌「虫マップ」を発表。各種媒体への執筆やイベントなどを主宰。

長﨑励朗
長﨑励朗さん
専門は社会学で、「教養」「都市と自然」など独自のキーワードによって作品を解釈する。小学校時代に読んだ『火の鳥』からの手塚ファンである。

 

【開催レポート】ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」 

第56回eよこソーシャルカレッジ「手塚治虫と大阪」2014年2月11日

第56回eよこソ-シャルカレッジ 『手塚治虫と大阪』

今年2月、手塚治虫先生が亡くなられて25年目の命日を迎えます。手塚先生のふるさと・大阪で、その歴史と文化と手塚治虫の関わりについて広く知っていただき、手塚先生の偉業を偲ぶ集いを開催します。手塚先生への思いを語り、手塚治虫ワールドを通して繋がることの喜びを共有できる、距離感の近い座談会にしたいと考えております。ぜひ、ご参加ください。

場所:大阪歴史博物館 2階 第1会議室
日時:2014年2月11日(火・祝) 14:00~(約2時間)
定員:30人
参加費:500円
持ち物:筆記用具
申し込み:東横堀川水辺再生協議会

チラシPDF版

eよこ会ブログ告知ページ

【開催レポート】第56回eよこソーシャルカレッジ「手塚治虫と大阪」

【開催レポート】手塚治虫における東横堀川の電子顕微鏡的考察

【開催レポート】「手塚治虫と大阪」クイズ

手塚治虫を偲ぶ会@原田しろあと館 2013年2月10日

手塚治虫を偲ぶ会

手塚治虫生誕の地・豊中にある登録有形文化財・旧羽室家住宅にて、手塚先生について語る座談会を開催します。手塚漫画でお気に入りの1冊や、「手塚なお宝」などをお持ちの上、ご参加ください。

*日時:2013年2月10日(日)13時半~15時
*場所:原田城跡・旧羽室家住宅
(大阪府豊中市曽根西町4-4-15)
*定員:30名 参加無料 当日先着順
*主催:とよなか・歴史と文化の会
*プログラム
「アドルフに告ぐ」でめぐる神戸の旅
手塚治虫ゆかりの地を訪ねて(田浦紀子)
手塚治虫クイズ など

【開催レポート】治虫忌の集い【その1】

【開催レポート】治虫忌の集い【その2】

千里コラボ大学校講座第24回「阪神間における手塚治虫の足跡」2012年5月12日

千里コラボ大学校講座第24回
阪神間における手塚治虫の足跡

漫画家・手塚治虫は1928年11月3日、豊中市に誕生し、25歳で上京するまで関西で過ごしました。
豊中の東光院萩の寺、宝塚の旧手塚邸、「モンモン山が泣いてるよ」の舞台となった蛇神社、「陽だまりの樹」の舞台となった適塾など、阪神間に残る手塚治虫の足跡をご紹介致します。
2012年5月12日(土)14:00~16:15
千里文化センター「コラボ」3階 「第1講座室」
豊中市新千里東町1丁目2番2号
語り手  田浦紀子
定員:70人(先着順)
申込・問合せ先  千里文化センター「コラボ」
Tel:06-6831-4133 Fax:06-6832-4190

【開催レポート】第24回 千里コラボ大学校を開催致しました。

 

『紙の砦』を歩く ~仁川一里山健民修練所跡

きっかけは5月に豊中で行われた手塚関連イベントでした。たまたま隣席になった方に私は声をかけました。
「三島佑一さんですよね?」
北野高校で行われる六稜トークリレーで度々お見かけしていたからでした。三島さんは、手塚先生と同じく北野中学出身で、一年後輩の60期。当時の戦争体験を綴った『昭和の戦争と少年少女の日記』を出版されていらっしゃいます。三島さんの著書の中に登場するのが仁川の一里山健民修練所です。昭和19年8月3日から1ヶ月間、北野中学から50人と堺中学(現三国丘高校)から50人の生徒が体力増強の訓練のために連れて来られました。

仁川一里山健民修練所は、手塚先生の戦争体験を描いた『紙の砦』で教官ににらまれた生徒が送られる「特殊訓練所」として描かれています。一日中規律に縛られた生活に粗末な食事。『ガラスの地球を救え』では修練所の生活に耐えられずに、夜中に抜け出して宝塚の自宅まで戻ってお腹いっぱいご飯を食べてまた修練所まで戻ったと綴られています。この一里山健民修練所で、手塚先生は糜爛性白癬症(水虫の一種)に罹り、1週間か10日くらいで治療のため自宅に戻ることになりました。一時は腕を切断する寸前まで病気が悪化したため、一里山健民修練所は、手塚先生にとって全く良い思い出の無い場所だったのでしょう。
豊中でのイベント終了後、私は三島さんを追いかけました。
「仁川の一里山健民修練所跡、ぜひ行ってみたいんですが…。」
たまたま出会った偶然に「また今度」なんてあり得ません。
「じゃあ、今から行きましょうか?」
電車の中で三島さんは北野中学時代の思い出を語って下さいました。「マントク」というあだ名の厳しい教官がいて、これは「万年特務曹長」の意味。威張り散らしていても出世できない軍人だという生徒達の揶揄だったそうです。

阪急電車

のどかな日和の中、マルーン色の阪急電車に乗り、手塚先生のふるさと・宝塚へ。そこから今津線に乗り換え、仁川駅で下車。三島さんも仁川に降り立ったのは修練所時代以来、実に67年ぶりだったそうです。

仁川

土地には記憶というものがあります。歴史の積み重ねの中で、塗り替えられて街は一変しても、川や樹がその道しるべになります。地図もアテもなく、三島さんの記憶だけを頼りに、仁川沿いにひたすら東へ。一里山健民修練所跡は、その名から西宮市一里山町であろうことは推測しておりました。そして、その場所の手がかりとなったのは、土地の経緯から考えて今も公共施設が建っているであろう、ということでした。

一里山健民修練所

大阪府一里山健民修練所
後列右から2番目が三島佑一さん
(『昭和の戦争と少年少女の日記』より)

一里山荘

「ああ。たぶん、ここですわ。」
現在は「一里山荘」という老人ホームになっていました。施設のまわりをぐるっと一周し、すぐ裏にあった喫茶店へ。地元の方らしいマダムに尋ねてみるも、さすがに健民修練所のことは知らず。でもこんなことを話して下さいました。
「一里山という地名は宝塚市と西宮市の中心点からちょうど一里ずつの場所にあるという意味なんですよ。」

三島さんの疑問は、夜に修練所を脱走し、宝塚の自宅まで帰ってまたその日中に修練所まで戻れたのか?ということでした。それもまた手塚先生の創作だったのかな、とも思います。今は穏やかでハイソな街並みの仁川を歩くと、手塚先生の辛い記憶もまたひとつの風景として心に沁み入るのでした。

三島祐一さん

手塚治虫を語る会@原田しろあと館 2011年2月6日

手塚治虫を語る会

手塚治虫生誕の地・豊中にある登録有形文化財・旧羽室家住宅にて、手塚先生について語る座談会を開催。ゲストは地元の原田小学校出身、北野中学で手塚治虫さんと同級生だった岡原進さん。北野中学美術部で共に油絵を描いた楽しい思い出や、カメラマンの岡原進さんが月刊誌の取材で東京の虫プロを訪問し取材された際の写真を交えながら、アニメ「ある街角の物語」の制作秘話などをお話しいただきました。

2011年2月6日(日)
場所:原田城跡・旧羽室家住宅
プログラム
「阪急沿線における手塚治虫の足跡」田浦紀子
「同級生が語る手塚治虫の少年時代」岡原進
主催:とよなか・歴史と文化の会

のりみ通信 「手塚治虫を語る会」開催しました!

のりみ通信 治虫忌を偲び、豊中に集う

のりみ通信 手塚治虫を語る会@豊中(金沢みやおさんのレポー ト)

岡原進さん講演ラスト4分(You Tube動画)

 

21世紀懐徳堂だよりvol.3

大阪大学が発行している「21世紀懐徳堂だよりvol.3」(2010年12月)に、マンガカフェ7「手塚治虫を歩く~中之島を中心に~」のレポートを掲載いただきました。

21世紀懐徳堂だよりvol.3  外面(PDF)

■2010.10.10
“手塚愛” に満ちたまち歩きとトークイベント。
マンガカフェ7「手塚治虫を歩く~中之島を中心に~」

関西における手塚治虫ゆかりの地を探る研究誌『虫マップ』を公開さ れた田浦紀子さんをゲストに迎え、手塚治虫のメモリアル・スポットを 巡るまち歩きとトークイベントを行いました。30名近い参加者が 13:30に大阪市立科学館前に集合、さっそく館内で副館長の加藤賢 一さんに大阪の科学技術と手塚治虫の関係について、また手塚が愛した プラネタリウム「カールツァイスII型」の本体を前に詳しい説明をい ただきました。その後、朝日ビル、石原時計店、除痘館跡(洪庵記念会 緒方ビル)、適塾と、田浦さんの軽快な解説を聞きながら巡りました。 まち歩きのメンバーには不思議な連帯感が生まれ、初めて会った同士な のに自然に世代も超えて会話がはずみました。
15:30 までにまち歩き隊はアートエリアB1に到着、第2部トークイベント「大阪の街と手塚治虫」に合流。田浦さんはスライドを駆使し、手塚のマンガと実写風景を 対比しながら、大阪における手塚の足跡をたどりました。フロアから、 手塚が見た朝日会館の映画を私も見たという方、手塚の中学時代の同級 生という方のお話も飛び出し、終始“手塚愛”に満ちた楽しい会となり ました。
マンガカフェは次の12月で一周年となります。すてきな企画を準備 中ですので、今後の21世紀懐徳堂のお知らせにご注目ください!
(大阪大学CSCD センター長・教授 金水 敏)

マンガカフェ7「手塚治虫の大阪を歩く~中之島を中心に~」2010年10月10日

マンガカフェ7 手塚治虫の大阪を歩く~中之島を中心に
(まち歩き+トークイベント

2010年10月10日
主催/アートエリアB1
(大阪大学+NPO法人ダンスボックス+京阪電気鉄道株式会社)
共催/大阪大学21世紀懐徳堂
京都精華大学国際マンガ研究センター

のりみ通信 「手塚治虫を歩く~中之島を中心に~」終了!

マンガカフェ7「手塚治虫を歩く~中之島を中心に~」 (10/10実施)のゲスト・田浦紀子さんからレポートが届きました!

21世紀懐徳堂だよりvol.3

共同通信取材2010年2月

「虫マップ」について共同通信の取材があり、全国の地方新聞に掲載いただきました。
下は2010年2月10日の「埼玉新聞」の記事です。

一部、私自身掲載状況を把握しておりませんが、下記の新聞に掲載いただきました。

・ 宮崎日日新聞(2010年2月3日)
・ 山陰中央新聞(2010年2月3日)
・ 岐阜新聞(2010年2月6日)
・ 徳島新聞(2010年2月10日)
・ 埼玉新聞(2010年2月10日)
・ 京都新聞夕刊(2010年2月13日)

ラジオ大阪「ピピッとおおさか大発見」2010年1月23日(土)放送

ラジオ大阪の「ピピッとおおさか大発見」に出演しました。

ラジオ大阪 2010年1月23日(土)放送 鉄腕アトムは大阪生まれ?「手塚治虫を訪ねて」

ブログ・のりみ通信:2010.01.17 1月23日ラジオ大阪の「ピピッとおおさか大発見」で紹介されます。 

藤原宏美オフィシャルブログ:手塚治虫さん没後21年 

 

ラジオ大阪取材適塾1

「陽だまりの樹」の舞台となった適塾前で脚本家の北原義敏さん、ラジオ大阪のスタッフの方と。

ラジオ大阪取材石原時計店4

石原時計店の社長室にて石原実さん、タレントの藤原宏美さんと。

ラジオ大阪取材大阪市立科学館1

大阪市立科学館のカール・ツァイスⅡ型プラネタリウムの前で、学芸員の嘉数次人さん、タレントの藤原宏美さんと。