旧池田附属小学校・建石校舎跡地

登場手塚作品:『モンモン山が泣いてるよ』

伴俊男『手塚治虫物語』より ©手塚プロダクション

池田師範附属小学校は、明治42(1909)年、大阪府池田師範学校(大阪教育大学の前身校の一つ)の附属小学校として創立。写真は手塚が五年生の一学期まで過ごした建石校舎(池田市建石町)。現在は、阪急関係の資料を収集保存する池田文庫となっており、敷地内には池附の玄関部が保存されている。手塚の自伝的漫画「モンモン山が泣いてるよ」には当時の思い出が描かれ、冒頭シーンでは建石校舎がモデルの木造校舎が描かれている。当時は東組と西組の2クラスで、手塚は西組のクラスメイト48名とともに学校生活を送った。

『大阪教育大学附属池田小学校 わが校90年の歩み』より

阪急文化財団池田文庫の西側に、池田文庫の旧玄関のモニュメントがひっそりと残されている。実はこの玄関こそ、手塚が通った旧池田師範附属小学校のあった名残りなのだ。昭和15(1940)年、池田附属小学校は建石町から城南町へ移転した。その後、池田商業専修学校を開校したが、戦後の学制改革により廃校となり、その跡地には、小林一三の発案により、図書館池田文庫、茶室古彩庵を建設、昭和24(1949)年に開館した。「物資を大切に」という小林一三翁の意向によって、すべて旧校舎の廃材を活用して建てられた。旧池田文庫の玄関部分は、池田師範附属小学校当時の姿をそのままに取り入れていたが、昭和57(1982)年に老朽化のため改築するにあたり、明治の木造校舎の面影を復元して保存することになった。

現在は「美術の杜バスポート」から続く遊歩道よりこの旧玄関を見ることができる。