旧手塚邸

登場手塚作品:『新聊斎志異・女郎蜘蛛』(1971)『アドルフに告ぐ』(1983~1985)

伴俊男『手塚治虫物語』より ©手塚プロダクション

宝塚駅から歩くこと10分あまり。閑静な住宅街の中にかつて手塚治虫が暮らした家の名残がある。手塚が5歳から24歳までの約20年間を過ごした家は、宝塚の御殿山といわれる場所にある。後年の代表作『アドルフに告ぐ』の舞台として御殿山を描いていることからも、手塚にとっての宝塚時代がいかに思い出深いものかがわかる。

手塚が暮らした家は建て替えられているが、少年時代毎日見上げてきたクスノキは今も健在である。このクスノキは『新聊斎志異・女郎蜘蛛』に登場する。

 

弟・手塚浩さんによるとこのクスノキ以外にも、往時を偲ぶことができる樹木がいくつか残されているそうである。

「当時、その庭には多くの樹木が移植されていましたが、例の大きなクスノキ以外で、今でも当時のまま何本か残されているのが確認できました。浩としては大変懐かしく 思われたので、それらを記録しておきますと、道路側 にモミノキが1本、奥の方の隣家との境界近くにクスノキが1本、アラカシが2~3本、位置的には昔のまま残されています。私達が豊中から越してきた時に既 に大きく成長していた樹木ですから(門寄りのクスノキは当然さらに老樹)、これらは今では樹齢で言うと 80年以上でしょう。治虫が生きていたとしても、そ れよりもっと多くの年齢を刻んでいることになります。

なお、「手塚邸」というの はちょっとはれがまし く、終戦前後 は門も壊れかけていて、右側の門柱に付けられた立派な表札だけが空しかった…。この門柱にある表札は 「手塚寓」と書かれていて、よくひと様から「手塚萬 (マン)」と誤って呼ばれたものでした。ですから、治虫や浩の祖父にあたる手塚太郎は、あくまでこの家は「手塚の寓居(仮住まい)に過ぎない貧家」として謙遜したい心境だったのでしょう。」

旧手塚邸の間取り図(手塚浩氏作画)