三宮阪神ビル

登場手塚作品:『アドルフに告ぐ』(1983~1985)

JRと阪急を繋ぐ歩道橋から見た三宮。白い建物は三宮阪神ビルである。大阪難波の南海ビルディングを手がけた建築家・久野節の設計で、金属パネルで全体を覆われているが、外壁や階段の明かり取りの飾り窓など竣工当時の意匠が阪神電鉄神戸三宮駅の階段付近に残されている。長らく[そごう神戸店]として親しまれてきたが、2019年10月に[神戸阪急]としてリニューアル予定である。

絵葉書 「(神戸名勝)瀧道停留所附近」

『アドルフに告ぐ』第7章 右下のコマに神戸そごうの建物と地下道入口が描かれている。 ©手塚プロダクション

「瀧道」(滝道)とは現在のフラワーロードのことで、六甲山の布引の滝に続くことに由来する。

当時のトンネル状の地下道入口が現在もひとつだけ残されている。(A14号階段)

阪神大水害・・・昭和13(1938)年7月3日~5日

6月に一か月近く続いた長雨が台風に刺激され、7月3日から5日にかけて神戸市に豪雨をもたらした。3日間で462ミリに達し、死者616名、被災家屋89715戸に達する大災害となった。六甲山南麓には、宇治川(暗渠)・石屋川・住吉川・芦屋川など、急峻な山地から一気に海へと流れ下る川が多いため、各河川流域で決壊、浸水、更に土石流などの土砂災害が相次いだ。被害は六甲山南側の神戸市が最も多かったが、六甲山の東部や北部でも死傷者が出た。神戸市は全家屋の72%が被災した。

『アドルフに告ぐ』第5章 昭和13年の阪神大水害のシーンで描かれているそごう前の様子は、下の写真をもとに描かれたものと思われる。 ©手塚プロダクション

 

阪神大水害後のそごう神戸店前の様子 (写真提供:神戸アーカイブ写真館)

 

阪神大水害後の三宮駅前。「阪神地下鉄乗車口」と書かれた地下の鉄道入口も土砂で埋まっている。(写真提供:神戸アーカイブ写真館)

「昨夜からの雨量は四百ミリを越え、各地で山崩れや土砂崩れが発生しています。洪水は加納町から市役所の方へ流れ出し三ノ宮のガードは水ですれすれになり、阪神電車の地下駅にも流れこんでいます。」

由季江が聴くラジオニュースで、昭和13年7月3日から5日にかけて発生した阪神大水害の状況が伝えられている。「そごう」の看板をかげた三宮阪神ビル前は流木と泥の海と化した。

なお「加納町」の町名は、明治期に水害の被害に対処するべく生田川の治水工事に尽力した加納宗七に由来する。東遊園地には加納宗七の銅像が建っている。

阪神大水害後のそごう神戸店前の様子(写真提供:神戸アーカイブ写真館)

『アドルフに告ぐ』で、左端に映るバスとよく似た形状のバスが描かれている。

阪神大水害で大破した加納町前の神戸市営バス (写真提供:神戸アーカイブ写真館)