適塾

登場手塚作品:『陽だまりの樹』(1981~1987)

『陽だまりの樹』第6章 適塾の人々 ©手塚プロダクション

蘭学者の緒方洪庵によって開かれ、後期の名作『陽だまりの樹』の舞台の一つとなった適塾は、幕末の大坂にあって多くの逸材を世に送り出してきた。手塚治虫の曾祖父・手塚良庵もその一人である。
急な階段を上って2階の奥へ進むと塾生たちが過ごした大部屋がある。部屋の真ん中の柱には刀傷があり、血気盛んな塾生たちの様子が思い浮かぶ。塾生の人数が多かったために、一人あたり一畳分の面積が割り当てられるだけだったそうである。
福澤諭吉の「福翁自伝」には適塾での生活の様子が書かれている。福澤が裸でいたところに洪庵の妻・八重が現れて赤面した話、難波橋の上から小皿を投げた話など。中には手塚良庵にまつわるものもある。福澤たちが仕組んだ遊女のニセ手紙に、手塚良庵がころりと騙されるというエピソードだ。これらを手塚は上手くアレンジして、『陽だまりの樹』の作品中に取り入れている。
適塾は現在の大阪大学のルーツとされている。手塚自身が大阪大学附属医学専門部に進学したことを思うと、適塾との浅からぬ縁を感じずにはいられない。

適塾  大阪市中央区北浜3丁目3番8号  電話:06-6231-1970 休館日:月曜日

大阪大学適塾記念センター