大阪石綿工業大阪工場跡地

登場手塚作品:『紙の砦』(1974)

伴俊男『手塚治虫物語』より ©手塚プロダクション

通年動員先の工場はドコ?
手塚治虫の通年動員先の工場はどこにあって、手塚がどんな作業をしていたのか? 金津博直氏の講演の資料展示に地図を提供し、工場の位置や当時の町の様子などを来場者に見てもらった。

昭和前期日本商工地図集成第2期(柏書房発行) 昭和10年

 

「大淀区内地図」 中津浜通り三丁目に「大阪石綿」の記述。

その後、大阪石綿工業は会社合併や財閥解体などを経た後、「浅野スレート(株)大阪工場」として昭和47(1972)年まで操業していたことが分かった。

大阪市精密住宅地図 吉田地図1970 大淀区 「浅野スレート(株)大阪工場」として操業していた時期のもの

 

大阪市精密住宅地図吉田地図1989北区

以上の4つの地図より検証したところ、手塚が学徒勤労動員で通っていた大阪石綿工業大阪工場の跡地は、現在の「ライオンズマンション中津」付近であることがわかった。

大阪石綿工場跡地を淀川の堤防より眺める。