六稜トークリレー 金津博直さん講演

終戦記念日の8月15日より、六稜トークリレーのyoutubeチャンネルで、手塚治虫先生の北野中学時代の同級生・金津博直さんの講演動画が配信されています。

当時、私も参加して講演の終盤で『紙の砦』で描かれたエピソードについて金津さんに質問する様子が映っています。また、本講演は2017年に出版した拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』第4章に所収しておりますので、併せてご覧いただけると幸いです。

六稜同窓会催事委員長の谷卓司さんによる告知文を掲載します。

8月は、RePlay回で終戦記念日に配信を行いました。オンデマンド配信が視聴可能ですので、今からでもじっくりお楽しみください。
本内容は、2007年4月14日に開催した第40回の模様を、当時の記録映像を再編集してお届けする企画となっております。およそ15年前の記録で、当時はこのような用途を想定しておりませんでしたので、映像も音も…あくまで「部内の記録」用としてしか考えられておりませんでした。したがい、低周波の空調音に混じって、何とも聞き取り辛い音声となっております。映像も…何の動きも無いスクリーンをずっと映したままになっっていたりしますが、何とぞご容赦ください。
金津博直さんは59期で、旧制北野中学の入学の年に太平洋戦争が勃発。まともに勉強できない時局のなかで、遂に毎日を工場労働に捧げる「通年動員」の暮らしがはじまります。挙げ句の果てには、卒業年次の繰り上げ政策で、本来あと1年の中学生活を残したまま、追い出されるように強制卒業させられた…それが北野59期なのでした。
手塚君とは3年生・4年生の同級で、一緒に大阪石綿工場へ通年動員にかりだされました。今では信じられない狂乱の時代に過ごした青春の日々を、微かな記憶を頼りに振り返られています。漫画界の巨匠の少年期を知る、貴重な講演記録をお届けいたします。
(文責:谷卓司@98期・催事委員長)

神戸三宮のガリバートンネル(A14号出入口)についての調査

神戸・三宮の片隅にひっそりとたたずむ細い地下道連絡通路「A14号出入口」が2023年11月6日の午後11時をもって閉鎖となりました。もとは地下鉄の阪神電車と地上の神戸市電を繋ぐための階段だったのですが、神戸市電が廃止されるとともにその役割を終え、地下街「さんちか」が整備されると、残されたのは歩道にあった「A14号出入口」のみとなりました。三宮駅前の再開発整備とともに、最後に残されたひとつも姿を消すという報道とともに、メディアの魔法で『ドラえもん』の秘密道具にちなんで「ガリバートンネル」という愛称まで設定され、にわかに着目を集めたこのトンネル。実は手塚治虫の『アドルフに告ぐ』にも描かれていることはあまり知られていません。第7章で、阪神電車の地下の線路を赤羽警部の追手から逃げ切った峠草平が地下から地上に出てきたシーン、そして第5章の阪神大水害のシーンでも描かれています。ただし『アドルフに告ぐ』で描かれている地下出入口は、いずれもの「A10号出入口」付近…現在の神戸阪急(旧そごう神戸店、建物名は三宮阪神ビル)の西側に面する道路にあったものであり、「A14号出入口」とは異なります。
さて、このA14がいつ頃に整備されたものなのか。報道では「市によると昭和8(1933)年頃にはあった」とされていますが、その由来は何一つ深掘りされていません。「三宮阪神ビル」(前そごう神戸店、現在の神戸阪急)の建物が昭和8(1933)年築であり、同建物が映された写真から、このトンネル状の出入口もその当時からあったとされていました。しかしながら「詳しい記録は残っていない」とされている報道を覆して、高坂史章が東京都千代田区の国立公文書館に保存されている建築図面を発見し、設計年は昭和9年と判明しました。また同様の出入口は「さんちか」に通じる通路に3つ痕跡が残っていますが、建設当時4つあったことが当時の図面から確認できました。

写真提供:神戸アーカイブ写真館 昭和12年頃撮影された省線三ノ宮駅(前国鉄、現在のJR)付近。手前に四つ並んでいるトンネル状の地下横断入り口は、市電、阪神電鉄、省線を繋ぐ地下通路に続いていた。右端に映るのが三宮阪神ビル(そごう神戸店)である。『アドルフに告ぐ』第5章の昭和13年の阪神大水害後の場面では、駅舎や地下出入り口、電柱や六甲の山並などが正確に描かれている。

国立公文書館での調査内容は、高悠眠のX(旧Twitter)@kouyuminに記録しています。
#神戸市 の三宮駅前にある #A14出入口 (#ガリバートンネル )は「昭和8年にはあった」とされているが、国立公文書館に保管されている「鉄道省文書」「内務省文書」を調査したところ、一年遅い昭和9年建築と判明し、また建築図面も発見した。(以下ツリー)

Twitter(X)の断片情報から文献史を紡ぎ、国立公文書館の文書目録をすり合わせ、東京竹橋にある国立公文書館の『鉄道省文書』と『内務省文書』を閲覧したところ、昭和8年築ではなく、昭和9年築の「小野柄通八丁目地下道」として神戸市電の連絡通路として構築されたことが判明し、大きな青焼き図面も写真に収めることができました。ニュースバリュー的には「90年の歴史に幕を下ろす」のが「89年の歴史」だからといっても大して変わりがないところですが、文献史の人間としてはささいでも誤った情報は正さないと気が済まなかったというところです。

このトンネルはそもそも何のためのものかというと、神戸市電(路面電車)の乗降場のため地下連絡通路である。

画像は神戸市電気局の『市営二十年史』(国会図書館デジタルアーカイブより)

路面電車の駅付属施設…とわかったところでふと疑問。

「地下で阪神電車を掘ってるのに、同じ年のうちに路面電車通して地下連絡通路まで作れるわけあらへんやろ」

神戸市電の歴史を調べると、この区間は「脇浜町2丁目より小野柄通8丁目」の「東部国道線」として建設され、昭和10年1月1日に開通となっている。この時系列を考えると、くだんのガリバートンネル は昭和9年築の蓋然性が高まった…。

さあ、「公文書沼」に沈もう。

鉄道史研究において、国立公文書館に収蔵されている『鉄道省文書』(左の紫表紙)は半世紀前から基礎研究で用いられているが、目録検索をしていると「1冊に文書が1件〜3件しか綴られていない簿冊(冊子)が鉄道省文書:『鉄道免許』とは別のグループで存在するのに気づいた。
文書件名を比較すると、『鉄道免許』からピックアップして別綴りにしているように思え「ん、『鉄道省文書には図面が無い』の悩み、まさかこれが図面集?」として閲覧したのが画像右で、正体は『内務省文書』。

申請・稟議は鉄道省文書と同じだが、その続きに内務省茶封筒で図面が収められていた。

「A14号出入口」に話を戻そう。

「第三期五号線工事方法変更の件」として鉄道省文書【軌道特許神戸市営12・昭和9年】、内務省文書【軌道・兵庫県・神戸市営・(昭和9.5.30〜昭和9.6.29)】の簿冊にそれぞれ綴られている。

申請は昭和9年1月19日に神戸市長から出願。

 「道路横断地下道の設置」「道路管理者に於いて小学校通学の児童及び一般通行人の道路横断を安全ならしむため先の通り地下道を設置す」として、中間区間に三か所と「小野柄通8丁目」の設置を申請している。

画像は内務省文書だが、赤鉛筆の強調が入っているのが印象的。

これら地下道を含む一連の工事は、昭和9年7月2日認可「監第2049号」達済みとなっている。
これが「附図18」として内務省の封筒に入れてつづられていたもので、一枚でほぼ全体が描かれている。
横断地下道縦断図。左が浜側(南側)で、右が山側(北側)。真ん中の2か所が路面電車の停留所の出入り口で、現在も地下道に開口部だけ現存している。
A14号出入口は右の”1.65″と数字が入っているもので、一つだけ狭く設計されている。(ちなみに、この寸法は壁芯寸法で記載されているのか、実際の間口は30cmほど狭くなっている)
横断図と現在の写真との比較。神戸市電停留所の出入口地下側は公知のとおり残存。浜側の出入口は、現在のバス停より少しだけ南と思われる。
図面と現物の対比、縦断面図 入口頂部から、横断地下道の土被りくらいまで。
標準断面図と旧路面電車安全帯出入口は間口が1.85mとなっているのに対して、山側歩道階段(A14号出入口)は間口が1.60mと、狭く設計されているため、すれ違うのがやっと、という印象を受ける。
 
地下道入口内面詳細図と現物比較。頂上部の防水モルタル上部白色塗装、腰部白色タイル、足元人造石洗出、露出部は防水モルタル上塗り。 防水部はリペイント、階段踏面は上貼りされているが、タイルと人造石は当時のままのようだ。
 内部一部が割れていてて躯体が見えている。暗灰色が防水モルタル塗りだろうか。
  
間口幅について。どう測っても1.25m前後の幅しかない 。「横断通路縦断面図」においては、1.65mとなっていたことに首を傾げたが、これは壁芯間なのだろう。厚みの0.29を引けば、計測値との差は10cmとなりさほど矛盾しない。
 
構造上は普通変えないが、階段の踏面33cm,踊り場1.0mの基本は変わっていない。
A14号出入口に続く地下通路。
「鉄道史研究」の一課題として最大の成果を上げさせていただいたガリバートンネルよ、さようなら。

『「漫画の神様」手塚治虫のルーツは信州上田にあった!令和3年度増補版』発行!

この度、長野県上田市の「わがまち魅力アップ応援事業」の支援で『「漫画の神様」手塚治虫のルーツは信州上田にあった!令和3年度増補版』が完成しました。
本誌前半は、アトムの会代表の上原榮治さんが『火の鳥・乱世編』に登場する手塚治虫先生のご先祖・手塚太郎金刺光盛とその一族のルーツについて執筆されました。
上原さんは母方が手塚姓で、ご自身のルーツが手塚太郎光盛とのことで、郷土史研究を通して手塚治虫先生の顕彰活動を続けておられます。
本誌後半は、私が『アドルフに告ぐ』を軸に、「手塚治虫の少年時代」「手塚治虫の父・手塚粲」「手塚治虫と戦争」「『アドルフに告ぐ』とその時代」の四章立てで、手塚治虫の人生をドキュメンタリーとして紐解いていく、という構成になっております。
「『アドルフに告ぐ』とその時代」というタイトルには、本作品で描かれた時代(昭和11年~昭和20年)と、本作品が描かれた時代(1983年~1985年)の両方の意味があります。

発行者 上原榮治
発行所 有限会社グリーン美術出版
A4判44ページ 頒布価格無料(非売品)

冊子のPDF版はこちらよりご覧ください。

手塚治虫のルーツは上田令和3年版Web用軽量版

■送付をご希望の方は、田浦まで送料370円分の切手をお送りくださるか、同封する郵便振替用紙でご入金下さいますようお願いします。
問い合わせよりメールで送付先の住所とお名前をご連絡ください。

本誌が紹介された「東信ジャーナル」2022年4月12日発行の記事はこちら

長野県の地域日刊紙「東信ジャーナル」2022年4月12日で紹介されました。

『手塚治虫のルーツは信州上田にあった!令和3年度増補版』が、長野県の地域日刊紙「東信ジャーナル」2022年4月12日発行で紹介されました。
木曽義仲の側近で手塚治虫の先祖の手塚太郎金刺光盛について発信活動をしている「手塚太郎の会」と、上原榮治さんが代表を務める「アトムの会」両方で発刊された冊子についてPRする内容となっております。
拙稿についても以下のように紹介されています。
「大阪府の県外会員で手塚治虫さんについて著書がある田浦紀子さんの寄稿「『アドルフに告ぐ』とその時代」などを掲載。手塚治虫さんの親族からの話や「アドルフに告ぐ」に対する手塚さんの思いなどを考察した読み応えのある内容になっている。」

『大阪春秋』令和3年春号「特集・ビバ!たからづか」に寄稿しました。

『大阪春秋』令和3年春号の特集「ビバ!たからづか」に「手塚治虫と宝塚―ゆかりの地をめぐる―」のタイトルで寄稿しました。まさか表紙に自分の名前を入れてもらえると思わなかった!
「手塚家が宝塚に移り住むまで」「クスノキのある家」「歌劇の街・宝塚」「昆虫少年・手塚治虫」「手塚治虫と戦争」という5つの切り口で、叙事的に書き上げました。4ページ6千字という枠内ではありますが、長年の取材によるエピソードを凝縮して本稿に盛り込んでおります。拙稿はp.30~p.33に掲載されています。大阪市内の書店および宝塚市立文化芸術センターのショップでも取り扱っていただけるようです。お手に取っていただければ幸いです。

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新風書房 大阪春秋第182号

【開催レポート】西宮市「宮水学園」の講義を修了しました。

9月27日は、西宮市「宮水学園」の講義「手塚治虫が描いた過去、現代、未来」の最終回でした。10回連続の講義で手塚治虫について語るシルバー大学のお仕事だったのですが、何よりも私自身が手塚漫画とその背景となる知識を学ぶ機会となりました。人に何かを伝える仕事というのは、自分自身がよく理解出来ていないと出来ないことだからです。

最終講義のテーマは「手塚治虫が遺作にこめた思い『ネオ・ファウスト』『青いブリンク』」だったのですが、準備に七転八倒しました。私の中で最も好きになれない手塚作品が『ネオ・ファウスト』であり、正直、何度読んでも破滅的な救いのないこの作品は好きになれません。『ネオ・ファウスト』を取り上げるにあたって、手塚治虫がゲーテ作品に傾倒した背景を取り上げなければならず、原典のゲーテの『ファウスト』もやっぱり読むのがしんどくなる作品です。
未完となったラストシーン…精神病院に収監されているまり子を第一が置き去りににしてメフィストに手を引かれていくシーンは、ゲーテ版でマルガレーテを牢獄に置き去りにするファウストと同じ展開を辿ります。

『ネオ・ファウスト』は手塚先生のバイオテクノロジーに対する警鐘がメッセージとして込められた作品で、この後、一ノ関第一がクローン人間を作って地球が破壊されてしまう、という破滅的な展開が手塚先生の構想としてありました。
未完の作品ではありますが、手塚先生の中ではこの作品に対する結論めいたものは、最初から出ていたような気がします。

『ネオ・ファウスト』の悪魔は、『火の鳥』…永遠の生命体=「神に近いもの」と対照的なものです。生命を司るものが神であるならば、人間が生命を司ることは、悪魔の領域に踏み込むことだ、という考えがこの『ネオ・ファウスト』のテーマだったと思うのです。

そしてこのテーマは裏を返せば『ブラック・ジャック』「ときには真珠のように」のラストで本間丈太郎先生が語る「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいと思わんかね」という台詞に繋がるものだと思います。

『火の鳥・未来編』でも手塚先生はゲーテの詩を効果的に引用しています。荒廃した世界で生命を作りたいという猿田博士の願いが無常にも打ち砕かれる…人工人間のブライトベリィが人工羊水から出た途端、人工細胞が崩れて死んでしまうシーンで、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』の一節がが引用されています。

一方『青いブリンク』は…私の中で最も好きなアニメでありながら、最も人に伝えるのが難しい作品だと感じました。講義では冒頭と最後の10分ほどでその世界観を伝えることになったわけですが、いったい1989年のNHKアニメ放送当時、『青いブリンク』にこめられた、手塚先生の企画意図を理解できた人がどのくらいいたでしょうか?
最終回で、グロス皇帝の正体が、カケルの父親の四季春彦と同一人物であることが判明しますが「グロス皇帝は私の悪い心の表れ」という春彦の台詞でその意味を視聴者である子ども達が理解できたでしょうか?

手塚先生は遺稿の中で「青いブリンク構成」としてこのように書いています。
「グロス皇帝の正体が最終話で暴露される。グロスの仮面の下はなんと四季春彦その人自身なのだ。つまり、四季春彦はつねに自分自身と闘い、自分と対決していたのだ。グロス皇帝は自分のマイナスの部分であった。自分のアイデアを片っ端から自分の作品に組みこもうとする春彦の心と、それを抑圧する―否定するもうひとつの自分がグロスだったのだ(作家ならだれしも持っている心)
(中略)
作家の心はつねにグロス的な抑制力が―妥協が働いている。だからこそ作品は平板な、あたりまえのものになってしまう。いうなれば安易な駄作である。
春彦はそこでグロスと対決せねばならなくなる。
もうおわかりと思うが、カケルのとびこんだ夢の世界は―実は父の心の世界だったのだ。
カケルは父の心の中を旅していたのだ。
Innerspaceである。」
『手塚治虫シナリオ集成1981-1989』(立東舎)より

すなわち『青いブリンク』は自己対峙の物語であり、実は人生において闘う相手は他者ではなく常に自分自身である、ということを子供たちに伝えたかったファンタジー作品だったわけです。

最終講義を終えてエネルギー使い果たしたブリンクのように毛玉になった気分ですが、この機会は本当によかったと思います。何よりもこの仕事で、知人友人でも手塚ファンでもない一般層の聴講者に「いかにして手塚治虫を伝えるか」という勉強になりました。

『月刊広場』のご案内

『月刊広場』2019年10月号より『「アドルフに告ぐ」とその時代』のタイトルで連載させていただくことが決まりました。この企画の主軸である「アドルフに告ぐ」の製作に携わった1980年代の手塚プロ漫画部の手塚先生のアシスタントの方達のインタビュー記事を、順次掲載していきます。

『月刊広場』は、埼玉県ふじみ野市の手塚ファン・林捷二郎さんが主宰している会員制の月刊同人誌です。手塚プロのアニメーター小林準治さんや、NHKアナウンサー小野卓司さんも毎月寄稿されています。投稿同人誌特有の同好の士が集う楽しさや、純粋に自分が書いた文章やイラストが掲載される嬉しさが感じられる温かさのある雑誌です。旧手塚治虫ファンクラブの古参会員が多く集う、この雑誌への掲載という形で原稿を生かすのが、最善の方法と思いました。また、私の連載を機に『月刊広場』の会員を増やしたい、多くの人に『広場』を読んでほしいう林編集長の意向で、以下告知文をご案内いたします。


『月刊広場』とは
埼玉県ふじみ野市に在住する林捷二郎(はやししょうじろう)が、昭和45年(1970)に「誰もがいつでも何回でも、発表したいものを発表できる本格的な雑誌を発行しよう」と始めた月刊の趣味の作品の発表誌(同人誌)です。

手塚治虫ファンの方、映画の好きな方、エッセーを書きたい方、カットやイラスト、漫画など描くことの好きな人 本について語り合いたい人
などのご参加をお待ちしています。

参加されますと
・毎月『月刊広場』をお送り致します。
・『月刊広場』に何度でも作品や、お便りの発表ができます。
・お送りいただいた作品や、お便りは,到着順に発表されます。

参加してみたいと思われた方
・会費は入会金なしの1ヶ月700円ですが、3ヶ月以上の前納制(割引)になっておりますので、3か月:2000円、6か月:4000円 9ヶ月:6000円 12ヶ月:8000円 15ヶ月:10000円
のいずれかを、お選びいただき、代金をそえてお申込み下さい。

広場に興味を持たれた方に
見本誌として『月刊広場』の最新号をお送りいたします(無料)ので、お名前とご住所を、下記のアドレスまでメールでお申し込み下さい。
林捷二郎
zud00414★nifty.ne.jp
(★を@に変換して送信)

【開催レポート】西宮市「宮水学園」マスター講座

西宮市「宮水学園」マスター講座「手塚治虫が描いた現代、過去、未来」で講師を務めています。手塚治虫が作品の込めた思いや現代を生きる私たちに鳴らした警鐘などを切り口に語る、10回連続の講座です。私自身、手塚作品を改めて読み返す機会を得て、手塚漫画の素晴らしさを再認識しています。

【開催レポート】大阪あそ歩「手塚治虫を巡る・中之島編~傑作マンガのヒントを得た町~」

6月16日、大阪あそ歩のツアー「手塚治虫を巡る・中之島編~傑作マンガのヒントを得た町~」を開催しました!『陽だまりの樹』の舞台となった適塾から、ツァイスⅡ型プラネタリウムが保存されている大阪市立科学館まで、約20名の参加者と共に歩きました。いろんな方のご縁が繋がって、お天気にも恵まれ、とても充実した一日でした。街と手塚治虫の魅力を発信し続ける活動、これからも続けていきたいと思います。