『月刊広場』のご案内

『月刊広場』2019年10月号より『「アドルフに告ぐ」とその時代』のタイトルで連載させていただくことが決まりました。この企画の主軸である「アドルフに告ぐ」の製作に携わった1980年代の手塚プロ漫画部の手塚先生のアシスタントの方達のインタビュー記事を、順次掲載していきます。

『月刊広場』は、埼玉県ふじみ野市の手塚ファン・林捷二郎さんが主宰している会員制の月刊同人誌です。手塚プロのアニメーター小林準治さんや、NHKアナウンサー小野卓司さんも毎月寄稿されています。投稿同人誌特有の同好の士が集う楽しさや、純粋に自分が書いた文章やイラストが掲載される嬉しさが感じられる温かさのある雑誌です。旧手塚治虫ファンクラブの古参会員が多く集う、この雑誌への掲載という形で原稿を生かすのが、最善の方法と思いました。また、私の連載を機に『月刊広場』の会員を増やしたい、多くの人に『広場』を読んでほしいう林編集長の意向で、以下告知文をご案内いたします。


『月刊広場』とは
埼玉県ふじみ野市に在住する林捷二郎(はやししょうじろう)が、昭和45年(1970)に「誰もがいつでも何回でも、発表したいものを発表できる本格的な雑誌を発行しよう」と始めた月刊の趣味の作品の発表誌(同人誌)です。

手塚治虫ファンの方、映画の好きな方、エッセーを書きたい方、カットやイラスト、漫画など描くことの好きな人 本について語り合いたい人
などのご参加をお待ちしています。

参加されますと
・毎月『月刊広場』をお送り致します。
・『月刊広場』に何度でも作品や、お便りの発表ができます。
・お送りいただいた作品や、お便りは,到着順に発表されます。

参加してみたいと思われた方
・会費は入会金なしの1ヶ月700円ですが、6ヶ月以上の前納性(割引)になっておりますので、
6か月 4000円  9ヶ月 6000円  12ヶ月 8000円  15ヶ月 10000円
のいずれかを、お選びいただき、代金をそえてお申込み下さい。

広場に興味を持たれた方に
見本誌として『月刊広場』の最新号をお送りいたします(無料)ので、お名前とご住所を、下記のアドレスまでメールでお申し込み下さい。
林捷二郎
zud00414★nifty.ne.jp
(★を@に変換して送信)

最新号の2019年10月号を希望の方は、9月15日頃までにご連絡いただきたくよろしくお願い致します。

【開催レポート】西宮市「宮水学園」マスター講座

西宮市「宮水学園」マスター講座「手塚治虫が描いた現代、過去、未来」で講師を務めています。手塚治虫が作品の込めた思いや現代を生きる私たちに鳴らした警鐘などを切り口に語る、10回連続の講座です。私自身、手塚作品を改めて読み返す機会を得て、手塚漫画の素晴らしさを再認識しています。

【開催レポート】大阪あそ歩「手塚治虫を巡る・中之島編~傑作マンガのヒントを得た町~」

6月16日、大阪あそ歩のツアー「手塚治虫を巡る・中之島編~傑作マンガのヒントを得た町~」を開催しました!『陽だまりの樹』の舞台となった適塾から、ツァイスⅡ型プラネタリウムが保存されている大阪市立科学館まで、約20名の参加者と共に歩きました。いろんな方のご縁が繋がって、お天気にも恵まれ、とても充実した一日でした。街と手塚治虫の魅力を発信し続ける活動、これからも続けていきたいと思います。

 

 

6月16日(日)大阪あそ歩「手塚治虫を巡る・中之島編 ~傑作マンガのヒントを 得た町~」

「虫マップ」作者の田浦紀子さんの案内で、『陽だまりの樹』の舞台となった適塾から、少年時代に夢中になったツァイスⅡ型プラネタリウムまで、中之島界隈の手塚治虫ゆかりの地を巡ります。リニューアルオープンした大阪市立科学館では、電気科学館50周年の手塚治虫氏の講演に携わられた、元大阪市立科学館館長の加藤賢一さんからお話を伺います。
ゲストスピーカー:大阪大学適塾記念センター・松永和浩さん、大阪市立科学館・嘉数次人さん

①集合場所(地下鉄淀屋橋駅北改札口)⇒②懐徳堂の碑⇒③適塾⇒④除痘館跡・緒方ビル⇒⑤石原時計店⇒⑥⇒中之島フェスティバルタワー(朝日会館跡)⇒⑦大阪大学医学部跡⇒⑧大阪市立科学館

実施日時:6月16日(日)13:00~15:30

集合場所:大阪メトロ御堂筋線淀屋橋駅北改札口
参加費:2000円(小学生以上)※入場料込み。当日お釣のないようにお持ちください。
参加申し込み:「大阪あそ歩」のホームページhttps://www.osaka-asobo.jp/course778.html

 

西宮市「宮水学園」マスター講座 手塚治虫が描いた現代、過去、未来

手塚治虫が描いた現代、過去、未来

2019年度「宮水学園」マスター講座(前期)パンフレット(PDF:2,223KB)

1.講師
田浦 紀子氏【手塚治虫研究家、「虫マップ」主宰】

2.内容
没後30年を迎えた漫画家・手塚治虫が、代表作『鉄腕アトム』で描いた未来に、今、私たちは生きています。手塚治虫は、兵庫県宝塚市で多感な少年時代を過ごしました。自然豊かな森で昆虫採集に勤しむ一方で、都会的でモダンな雰囲気にも触れ、その経験は後の手塚漫画に大きな影響を与えました。『鉄腕アトム』に描かれた未来社会、『ブラック・ジャック』に描かれた医療の限界、『火の鳥』に描かれた死生観、『アドルフに告ぐ』や『紙の砦』に描かれた戦争体験など、作品に込められたメッセージや、手塚治虫の人物像を作品から読み解きます。

3.時間・曜日
14時~15時30分(すべて金曜日)

4.会場
西宮市民会館 中会議室501
住所:〒662-0918 兵庫県西宮市六湛寺町10-11
(阪神「西宮駅」市役所口から北へ徒歩1分 JR「西宮駅」から南西へ徒歩9分)

内容・日程の詳細は下表のとおりです。

テーマ一覧

第1回 5月10日 手塚治虫の人物像と作品群

第2回 5月17日 手塚治虫が描いた人間とロボット 「鉄腕アトム」「火の鳥」

第3回 5月24日 手塚治虫が描いた戦争(1) 「紙の砦」「ゴッドファーザーの息子」「ゼフィルス」

第4回 6月14日 手塚治虫の死生観 「火の鳥」

第5回 7月5日 手塚治虫の宗教観 「ブッダ」

第6回 8月2日 手塚治虫が描いた医療 「ブラック・ジャック」

第7回 8月23日 手塚治虫が描いた戦争(2) 「アドルフに告ぐ」

第8回 8月30日 手塚治虫の歴史観 「陽だまりの樹」

第9回 9月20日 手塚治虫の音楽観 「ルードウィヒ・B」「野ばらよいつ歌う」「虹のプレリュード」

第10回 9月27日 手塚治虫が遺作に込めた思い 「ネオ・ファウスト」「青いブリンク」

【開催レポート】船場大阪を語る会で講演いたしました。

3月9日「船場大阪を語る会 第189回例会」に登壇の機会を得て、愛日会館で講演いたしました。六稜60期の故・三島佑一先生が会長を務めており、和泉書院ともご縁があることから、本会への登壇がようやく叶いました。

昭和19年の夏、北野中学と堺一中の生徒が仁川の一里山健民修練所で合宿生活を送りました。この時の思い出は『紙の砦』で描かれていますが、その際一緒に行っていたのが三島佑一さんでした。


三島佑一さん、仁川の一里山健民修練所の思い出について語る。(2014年2月11日大阪歴史博物館にて)

弟・高坂史章による挨拶。

船場大阪を語る会・現在の会長の西岡透さん。

緒方洪庵記念財団の川上潤さん、大阪大学適塾記念センターの松永和浩さんと、二人も適塾関係者がお越し下さいました。除痘館跡(緒方ビル)に飾られている「陽だまりの樹」の絵の由来について、川上さんに語っていただき、松永さんからは現在進めている、適塾の新装版の図録製作プロジェクトについて語っていただきました。

緒方洪庵記念財団の川上潤さん、大阪大学適塾記念センターの松永和浩さんと。

船場倶楽部の日比哲夫さんと。

『親友が語る手塚治虫の少年時代』の装幀を手掛けて下さった谷卓司さんと。

弟、夫、両親、伯父伯母と。

3月17日(日)池田「まんぷく」ツアー

プロガイドの藤堂千代子さん、万博ミュージアム館長の白井達郎さんと組んで、池田「まんぷく」ツアーを実現する運びとなりました。私は、手塚治虫が通った池田師範附属小学校建石校舎跡地(現池田文庫)を案内します。NHKの朝ドラ「まんぷく」で白井達郎さん提供の万博グッズが映りましたが、それらの小道具も今回のツアーでお見せします。「てるてる家族」や「あさが来た」のネタも登場!とても濃い内容のツアーですので、ぜひこの機会にご参加を!

池田にこの人あり!~漫画の神様・手塚治虫 阪急電鉄の創始者・小林一三 即席ラーメン開発者・安藤百福~

手塚治虫が通った池田師範附属小学校跡地、阪急電鉄創始者・小林一三の旧宅、朝ドラ「まんぷく」のモデル・安藤百福がチキンラーメンを開発した小屋など、池田が輩出した人物ゆかりの地をめぐります。ゲストスピーカーは、「虫マップ」作者で手塚ファンの田浦紀子さんと、池田ジモティで万博ミュージアム館長の白井達郎さん。どんなエピソードが出てくるかお楽しみに!

①池田駅⇒②栄町商店街⇒③旧いとや百貨店⇒④旧加島銀行池田支店⇒⑤池田師範附属小学校建石校舎跡地⇒⑥小林一三記念館⇒⑦室町住宅⇒⑧呉服小学校⇒⑨万博ミュージアム ⇒⑩安藤百福が研究所を作った借家⇒⑪カップヌードルミュージアム

実施日時 3月17日(日)13:00 集合:阪急池田駅改札前

参加費用 1500円(小学生以上)※当日お釣のないようにお持ちください。
定員 15名 ガイド:藤堂千代子

3月9日(土曜日)船場大阪を語る会(愛日会館)で講演します。

船場大阪を語る会
第189回例会 ご案内

今回は、田浦紀子氏に「手塚治虫と大阪」という演題でご講演いただきます。
田浦(旧姓 高坂)さんは、昭和53(1978)年大阪市生まれ。京都精華大学ご卒業。在学中から、漫画家 手塚治虫のファンとして、弟さんの高坂史章氏と共に、研究誌「虫マップ」を発表し、その後も手塚氏のご親族の方やご友人から様々な助言を得て、手塚氏の作品と足跡等の研究を続けて来られました。
また、手塚氏の北野中学校(現 北野高校)時代を研究する中で、同校の「六稜同窓会」会員 岡原進氏(手塚氏同級生)、三島佑一氏(当会前会長)、谷卓司氏(当会協力会員)等の協力を得るなどして、昨年には、高坂史章氏と共に編著書『親友が語る手塚治虫の少年時代』(下記)を 上梓されました。
今回、戦後の日本を代表する漫画家 手塚治虫の、大阪や宝塚(少年期)での足跡や思い出等を氏のご弟妹、同級生の方々などの証言を元に語っていただきます。
皆様、ぜひお誘い合わせご出席ください。
・共編著書『親友が語る手塚治虫の少年時代』 和泉書院 2017年5月発行


日時 平成31年3月9日(土) 午後1時30分~4時
会場 愛日会館 大阪市中央区本町4丁目7番11号
大阪メトロ  本町駅より徒歩5分
講師 手塚ファン「虫マップ」主宰(http://mushimap.com/)
田浦 紀子 (たうらのりこ)氏
演題 「手塚治虫と大阪」
漫画家・手塚治虫氏は、昭和3(1928)年、豊中市に誕生。5歳の時、宝塚市へ転居。池田師範附属小学校、北野中学校、大阪大学附属医学専門部へと進学し、漫画家として上京するまで約25年間を関西で過ごした。平成元(1989)年死去。
会費 1000円、学生500円(申込み、入会金、年会費、不要)
事務局 愛日会館 内(06-6264-4100)「船場大阪を語る会」 中嶋・白堀
船場大阪を語る会  会長 西岡 透

朝日新聞2018年5月12日 土曜版be みちのものがたり 手塚治虫を育んだみち

5月12日の朝日新聞土曜版beの6~7面「みちものがたり」に、宝塚の手塚治虫ゆかりの地の特集記事が掲載されました!3月に、手塚先生の弟の手塚浩さんとの取材に同行し、旧手塚邸、瓢箪池、蛇神社、千吉稲荷など、宝塚の御殿山界隈をめぐりました。手塚浩さんは少年のような目をして嬉々として「オサム兄貴」との思い出を語って下さいました。

記事では高台から宝塚の街を一望できる場所で撮影した手塚浩さんの写真が掲載されています。メイン写真は、手塚兄弟が「猫神社」と呼んだ千吉稲荷神社。田圃のあぜ道の先にこんもりとした緑の山の中に現れる赤い鳥居がアクセント。
拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』も書影入りで紹介されています。私のコメントとして宝塚時代の影響の作品の代表例「ゼフィルス」を挙げました。「宝塚で育んだ昆虫愛とともにささやかな暮らしが奪われる戦争の不条理が描かれています」
中野晴行さんの著書『手塚治虫のタカラヅカ』の引用とコメント、藤子不二雄Aさん(安孫子素雄さん)の「新寶島」「マアチャンの日記帳」へのコメントも。

実は5月12日は『親友が語る手塚治虫の少年時代』が発売された記念日です。一年前の今日、初めて自分の名前の本が全国の書店に並びました。そして、その発売記念日に朝日新聞に紹介記事が掲載されたのもまた何かのご縁かと思います。

(みちのものがたり)手塚治虫を育んだみち 兵庫県宝塚市 蝶にこがれたマンガの神様
2018年5月12日03時30分

朝日新聞社に無断で転載することを禁じる 承諾番号:18-2363

 

梢(こずえ)の葉を通して、日差しが降り注ぐ。閑静な住宅街が広がる兵庫県宝塚市。その高台に、開発からかろうじて逃れた千吉稲荷神社のこんもりした森が残っている。

「オサム兄貴が小学生のころ『クヌギの樹液に蝶(ちょう)やクワガタがたくさん集まっている』と教えてくれた。昆虫採集にとっておきの場所です」

オサム兄貴とは、後に「マンガの神様」と呼ばれる手塚治虫(1928~89)。思い出の一コマを語るのは弟の浩さん(87)だ。

手塚は4歳から約20年間、宝塚大劇場などを見下ろす御殿山で暮らした。自宅近くには緑豊かな山林や田畑が広がり、兄弟が瓢箪(ひょうたん)池と呼んだ池は水を満々とたたえていた。

「この神社で兄貴は大きな猫をみかけて、猫神社と名付けました。蝶が飛ぶ『蝶道』もあって、珍しい蝶を先に捕まえようと、競争に明け暮れたものです」。喧噪(けんそう)からも逃れた鎮守の森は、遠い日の子どもたちの歓声が聞こえてきそうな、懐かしい場所だった。

手塚が昆虫採集に目覚めたのは小学5年生のとき。級友の石原実さん(89)に『原色千種昆蟲圖譜(こんちゅうずふ)』(平山修次郎著)を見せられたのがきっかけだ。自伝『ぼくはマンガ家』で、手塚はこの図鑑との出会いを「ぼくは、俄然(がぜん)昆虫に魅せられてしまった。やがて三度の食事を一度にしてもというぐらい病みつきになり」と述べ、手元に置く「バイブル」の一冊にしていたという。

自宅の本棚には父親も好きなマンガが200冊並び、空想科学小説や海外文学の本がふんだんに置かれた。浩さんは「そんな環境もマンガを描き、兄貴ならではのストーリーを生み出すバックボーンになったのでしょう」と話す。

教科書やノートの隅にパラパラマンガを描いて遊んでいた手塚は、自作のマンガを回覧して級友を楽しませるようになっていった。虫好きが高じて、ペンネームには本名の「治」に「虫」をつけた。その名が誕生した日のことを級友の大森俊祐さん(故人)は、はっきりと覚えていた。

手塚が教室で図鑑のページをめくり、友人たちがのぞき込んでいるときだった。「オサムシ」という名の虫がいると知ったダジャレ好きなひとりが「それやったら手塚オサムシや」と口にすると、「ほんまや、ぴったりや」と教室がわきたったという。

「手塚君が黒板に、漢字で『命名 手塚治虫』と書きました」「彼はまんざらでもない顔をしながら、ニコニコ……」(証言録『親友が語る手塚治虫の少年時代』から)

旧制中学に上がると、ペン画のマンガも描き始めた。ヒゲオヤジなど、手塚作品の主な登場人物が次々に生み出されたのも中学時代だ。仲間と動物同好会を立ち上げ、昆虫図鑑の編纂(へんさん)にも取り組んだ。

その実物が公開されていると聞き、宝塚市立手塚治虫記念館を訪ねた。

「原色甲蟲(こうちゅう)圖譜」。そんなタイトルがついたノートの左ページには、大小さまざまなクワガタがびっしりと描かれ、右には解説文も。つやもある精密な絵で写真と見まごうばかり。いまにもノソノソとはい出しそうで、抜きんでた画力が伝わってくる。

太平洋戦争真っただ中で、マンガを手にすることさえはばかられた時代。勤労奉仕や勤労動員に追われたが、手塚は隠れてマンガを描き続け、才能を開花させていく。

念願のデビューは、敗戦とともに思いがけない形でやってきた。

 

■「きらめきや畏れ忘れない」

「マングワノ セカイニモ ヘイワガキマシタヨ。イママデノ センサウチュウノ アラッポイ マングワナンカデハ ナク……」

敗戦の翌年、1946年の元旦。毎日新聞社が発行する少國民新聞の大阪版に、「マァチャンの日記帳」の連載開始を告げるお知らせが、手塚の絵入りで載った。

このとき手塚は17歳。大阪帝国大学付属医学専門部で学んでいた。自伝で「興奮して、夜の明けるのが待ち切れなかった」と回想。駅売りの新聞を求めて何駅もはしごするが手に入らず、大阪市内でようやく買い求め、初めて印刷された自分の絵を見た。

「この道で苦しめられる運命の、きっかけの日であった」と書き、医師ではなく、マンガ家の道に進む引き金にもなったと打ち明けた。

自伝で手塚は、近所に住む毎日新聞社勤務の女性の紹介でデビューが決まったとしている。ところが、マンガ評論家の中野晴行さん(63)の著書『手塚治虫のタカラヅカ』によれば、真相は違う。手塚が編集幹部を父に持つ先輩を訪ね、マンガを新聞に載せてほしいと仲介を頼む。先輩は公私混同になるからと、手塚自らマンガに手紙を添えて新聞社に持ち込むよう助言。その結果、連載が決まった。中野さんは「編集部に才能が認められたのだが、手塚にはずるをしたような後ろめたさが残った。先輩やその父親に迷惑がかかっては、という気づかいもあって自伝の筆を少しだけ曲げたのではないか」と話す。

掲載紙は大阪を中心に北陸から四国までの地域で販売。連載は好評で、1カ月の予定が3カ月・73回に及んだ。

マァチャンに魅了された小学6年生二人組が富山県にいた。安孫子素雄さん(84)と藤本弘(1933~96)。後に藤子不二雄のペンネームで、「オバケのQ太郎」などを世に送ることになるコンビだ。

藤子不二雄(A)として活躍中の安孫子さんは、『手塚治虫デビュー作品集』への特別寄稿で、「今までの漫画の絵は、古くさく野暮(やぼ)ったく思えた。それほど新鮮で、チャーミングなタッチだった」と振り返る。

翌47年。冒険マンガ『新寶(たから)島』(原作と構成・酒井七馬、作画・手塚治虫)が刊行され、爆発的な人気となった。映画的な表現手法を取り入れ、その後のマンガに大きな影響を与えたとされる作品だ。だが、安孫子さんは同じ寄稿で、「『新宝島』が戦後の日本の漫画史で極めてエポックメーキングな役割を果たしたのは事実であるが、実はそのプロローグが『マァチャンの日記帳』だった」と記した。

マンガに囲まれ、宝塚歌劇に親しみ、自然にふれた幼少期から、戦火をくぐり抜けてデビューを果たすまで過ごした宝塚は、手塚作品の舞台にもなった。ゆかりの地を取材してウェブサイト「虫マップ」で紹介している田浦紀子さん(39)は、代表例として「ゼフィルス」(71年)を挙げる。

戦時下、裏山でゼフィルスと呼ばれる蝶を血眼になって追いかける中学生の物語。最後にその森はB29の爆撃によって焼失してしまう。「宝塚で育んだ昆虫愛とともにささやかな暮らしが奪われる戦争の不条理が描かれています」

弟の浩さんは、「感受性の豊かだったオサム兄貴は、野山で目の当たりにした大自然のできごとを通して、生命の神秘を感じ取り、敬虔(けいけん)な気持ちを育んでいたのかも知れませんね」という。

手塚はテレビインタビューでこんな言葉を残している。

「少年の日、その目に映ったきらめきや畏(おそ)れを今も決して忘れない」

虫取り網を手に夢中になって駆け回った御殿山に、マンガの神様の原点があった。

(文・進藤健一 写真・筋野健太)

 

■今回の道

戦前~戦中の兵庫県宝塚市の雑木林にはタヌキやキツネがすみ、昆虫の宝庫だった。宝塚少女歌劇が創設され、モダンなレビューの街ともなっていった。

中学時代の手塚治虫が昆虫採集の記録をつづった「昆虫手帳」には、主な採集地を独自の呼び名で記している。地元の野山は住宅地に変わったが、「猫神社」や「瓢箪池」などが当時の様子をとどめ、手塚が大好きな蝶を追いかけた道の痕跡もたどれる。

◇◇◇◇

マンガ文化に大きな足跡を残した手塚の業績を記念する手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催、宝塚市など後援)。2018年(第22回)のマンガ大賞には野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』が選ばれた。贈呈式が6月7日、東京・浜離宮朝日ホールである。

 

■ぶらり

宝塚散策の起点はJR宝塚駅と阪急宝塚駅。宝塚大劇場に続く「花のみち」を歩き、資料や映像で手塚ワールドを満喫できる宝塚市立手塚治虫記念館(電話0797・81・2970、大人700円~小学生100円、水曜休館)=写真=へ。少年期の宝塚のジオラマ展示で往時をイメージし、「昆虫手帳」をもとに作製した「たからづかワンダーマップ」をもらって、手塚ゆかりの地にいざ出発! JR宝塚駅東側の踏切を北へ渡り、道なりに坂を上ると、10分ほどでマンションが正面に立ちはだかる三差路に。その手前を右に折れればクスノキの大木=写真=が目印の旧手塚邸だ。手塚作品「新・聊斎志異(りょうさいしい) 女郎蜘蛛(じょろうぐも)」では、このクスノキの精が現れ、伐採を思いとどまらせる。隣にはタカラヅカの大スターだった天津乙女、雲野かよ子姉妹が住んでいたという。

三差路を逆に西進して、しばらく歩くと右手に田んぼが見える。奥にある赤い鳥居が、手塚兄弟が昆虫採集に明け暮れた「猫神社」(千吉稲荷神社)だ。

再び旧手塚邸に戻り、左に曲がって坂道を上り、右に折れた先からは市街地を一望できる。「昔は雑木林で蝶の通り道でした」と弟の手塚浩さん=写真。北に進むと手塚が瓢箪池と呼んでいた下ノ池。道を隔てた御殿山公園も、かつては池だった。北上すると、短編「モンモン山が泣いてるよ」の舞台「蛇神社」だ。

 

■読む

『親友が語る手塚治虫の少年時代』(和泉書院、税込み1890円)=写真=は、ともに学び、戦争をくぐり抜け、生き抜いてきた仲間たちの証言録。編著者は「虫マップ―手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―」をネットで公開している田浦紀子さん、高坂史章さん姉弟。

 

■味わう

阪急宝塚駅前の和菓子店「きねや」には、乙女餅を食べるアトムのイラスト=写真=が飾られている。宝塚歌劇の乙女にあやかって売り出された。短冊に切った求肥(ぎゅうひ)に黄な粉をまぶした餅でほんのり甘い。10個入り税込み1150円。

 

■読者へのおみやげ

手塚治虫記念館で購入した「リボンの騎士」のクリアファイルとストラップをセットで10人に。住所・氏名・年齢・「12日」を明記し、〒119・0378 晴海郵便局留め、朝日新聞be「みち」係へ。17日の消印まで有効です。

 

◆次回は、西田幾多郎が若き日に過ごした山口県の「哲学の道」の原風景をたどります。