「神戸新聞」2017年6月27日朝刊

6月27日の神戸新聞朝刊で、先日の京都国際マンガミュージアムのイベントの様子と『親友が語る手塚治虫の少年時代』の本の紹介をしていただきました。記者の田中真治さんとは旧知で、過去に『アトムの世紀はじまる』という神戸新聞での手塚関連の連載をまとめた本を2003年に出版されています。
WEB記事版でも読めますのでご覧ください。
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201706/0010318824.shtml

「月刊島民」2017年6月号


京阪電鉄のフリーペーパー「月刊島民」2017年6月号で『親友が語る手塚治虫の少年時代』をご紹介いただきました。
執筆した江口由夏さんは、2014年7月号の特集「手塚治虫が歩いた道。」で組んでいた編集者です。
手塚プロの森晴路さんの急逝がきっかけて「手塚治虫が歴史になってしまう」という危機感を感じ、出版を決意したきっかけ。「漫画家になる前の手塚との思い出を飾らない言葉で語っている」「こいうった本が、手塚治虫を現代に生かし続けているのは間違いない。」等々、私のこの本に対する「思い」の部分をきちんとまとめてくださいました。本当にありがとうございました!

月刊島民/ナカノシマ大学の公式サイト
6月号のバックナンバーのPDF版が掲載されています。

6月11日(日)「思い出のなかの手塚少年をたずねて」@京都国際マンガミュー​ジアム

思い出のなかの手塚少年をたずねて ―『親友が語る手塚治虫の少年時代』著者トークショー

日時:平成29年6月11日(日)午後2時~午後4時

会場:京都国際マンガミュージアム 2階 ギャラリー6
(京都市中京区烏丸通御池上る 京都市営地下鉄 烏丸線・東西線 烏丸御池駅2番出口すぐ)

内容:『親友が語る手塚治虫の少年時代』(和泉書院刊,2017年)は、手塚治虫の親族や同級生を訪ね歩き、その思い出の中にある少年・手塚治虫についての証言を集めた本です。本イベントでは本書の著者である田浦紀子氏・髙坂史章氏の両名を迎えて、執筆の中で出会った少年・手塚の仲間たちと、彼らの語った手塚治虫についてお話を伺います。

出演者(敬称略)
田浦紀子(『親友が語る手塚治虫の少年時代』共著者・サイト「虫マップ―手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―」管理人)
髙坂史章(『親友が語る手塚治虫の少年時代』共著者・サイト「虫マップ―手塚治虫ゆかりの地を訪ねて―」管理人)
司会:雑賀忠宏(京都精華大学国際マンガ研究センター研究員・日本マンガ学会関西交流部会代表)

料金:無料(ただし,マンガミュージアム入場料[大人800円,中高生300円,小学生100円]は別途必要)

定員:30名(先着順)

参加方法:事前申込不要

主催:京都国際マンガミュージアム/京都精華大学国際マンガ研究センター/日本マンガ学会関西交流部会

協力:和泉書院

問合せ先:京都国際マンガミュージアム
TEL:075-254-7414 FAX:075-254-7424

 

【開催レポート】京都国際マンガミュージアム・トークイベント「思い出のなかの手塚少年を訪ねて」 

ベスト・オブ・月刊島民で手塚治虫特集が10位にランクイン!

「月刊島民」vol.102(2017年1月号)の特集はベスト・オブ・月刊島民開票結果速報。100号発行記念で今まで発行された島民の特集の順位発表です。
私が企画した72号「手塚治虫が歩いた道」(2014年7月発行)がなんと10位にランクインしました!「従来の手塚本にない視点の考察が秀逸」「誌面の充実ぶりに影響されて手塚先生の足跡を辿りたくなり、休日に一人中之島をまわりました」というコメントをいただきました。この投票、私は忙しくて投票しなかったので、全くの他者評価です。
ちなみに、1位は「山崎豊子をあるく」。2位は「となりの五代友厚」。3位は「すごいぞ!京阪電車2016」。近代建築関連が5、6、8位にランクインしています。

「月刊島民」公式サイト

月刊島民100号記念スペシャル企画

ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」

ナカノシマ大学2月講座 「街から読み解く手塚治虫」
開催日 2015年2月11日(祝・水)
時間2:00PM〜4:00PM頃(開場1:30PM〜)
会場 大阪市立科学館 研修室
講師 加藤賢一、田浦紀子、長﨑励朗
受講料 2,200円(お土産付き)
定員 80名
主催 ナカノシマ大学事務局 大阪市立科学館

街から読み解く手塚治虫

作品にも頻出する大阪の街と手塚治虫の関係を、さまざまな人々の証言によって紹介。
科学館所蔵のお宝公開&手塚ゆかりのお土産も!

講師/加藤賢一(前大阪市立科学館館長)
田浦紀子(手塚治虫研究家)
長﨑励朗(京都文教大学専任講師)

「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫は、大阪にとてもゆかりの深い人物だった。幼少期から家族で何度も中之島に足を運び、マンガ家になる前は大阪大学付属医学専門部に通っていた。また、手塚作品を細かく見ていくと、大阪のさまざまなスポットが描かれていることがわかってくる。
そんな手塚の足跡や作品との関連性をライフワークとして研究しているのが、2014年7月号でも登場してくださった田浦紀子さん。今回は田浦さんの研究成果である「虫マップ」を軸にしながら、さまざまな人たちの証言によって、手塚と大阪の街の結びつきを読み解いていく。
会場となるのは、少年時代の手塚が魅了されたプラネタリウム「カール・ツァイスⅡ型」を保存・展示する大阪市立科学館。直筆サインが入った記念色紙など、所蔵品も特別公開してもらう。さらに、手塚ゆかりのお土産も用意。手塚にまつわる場所・人・ものによる濃密な時間をどうぞお楽しみに。

スペシャル1 アジア初のプラネタリウムを見よ。
手塚をはじめ、多くの人を魅了したプラネタリウムの実物が、今も科学館に展示されている。ドイツのカールツァイス社が技術の枠を結集して造った名機を、学芸員の方の解説でご紹介。

スペシャル2 「物語」のあるお土産付き!
クリアファイルプラネタリューム
今回のお土産は2つ。手塚が愛したプラネタリウムの写真がデザインされた大阪市立科学館特製のクリアファイル。また、そのプラネタリウムが由来となったお菓子「プラネタリューム」も一緒にどうぞ。

加藤賢一
加藤賢一さん
前大阪市立科学館館長。前身施設の電気科学館勤務時代に、テレビ番組の取材で手塚と科学館の関わりを知り、手塚を招いた講演会に携わる。

田浦紀子
田浦紀子さん
ゆかりの地を記した研究誌「虫マップ」を発表。各種媒体への執筆やイベントなどを主宰。

長﨑励朗
長﨑励朗さん
専門は社会学で、「教養」「都市と自然」など独自のキーワードによって作品を解釈する。小学校時代に読んだ『火の鳥』からの手塚ファンである。

 

【開催レポート】ナカノシマ大学2月講座「街から読み解く手塚治虫」 

第56回eよこソーシャルカレッジ「手塚治虫と大阪」2014年2月11日

第56回eよこソ-シャルカレッジ 『手塚治虫と大阪』

今年2月、手塚治虫先生が亡くなられて25年目の命日を迎えます。手塚先生のふるさと・大阪で、その歴史と文化と手塚治虫の関わりについて広く知っていただき、手塚先生の偉業を偲ぶ集いを開催します。手塚先生への思いを語り、手塚治虫ワールドを通して繋がることの喜びを共有できる、距離感の近い座談会にしたいと考えております。ぜひ、ご参加ください。

場所:大阪歴史博物館 2階 第1会議室
日時:2014年2月11日(火・祝) 14:00~(約2時間)
定員:30人
参加費:500円
持ち物:筆記用具
申し込み:東横堀川水辺再生協議会

チラシPDF版

eよこ会ブログ告知ページ

【開催レポート】第56回eよこソーシャルカレッジ「手塚治虫と大阪」

【開催レポート】手塚治虫における東横堀川の電子顕微鏡的考察

【開催レポート】「手塚治虫と大阪」クイズ

手塚治虫を偲ぶ会@原田しろあと館 2013年2月10日

手塚治虫を偲ぶ会

手塚治虫生誕の地・豊中にある登録有形文化財・旧羽室家住宅にて、手塚先生について語る座談会を開催します。手塚漫画でお気に入りの1冊や、「手塚なお宝」などをお持ちの上、ご参加ください。

*日時:2013年2月10日(日)13時半~15時
*場所:原田城跡・旧羽室家住宅
(大阪府豊中市曽根西町4-4-15)
*定員:30名 参加無料 当日先着順
*主催:とよなか・歴史と文化の会
*プログラム
「アドルフに告ぐ」でめぐる神戸の旅
手塚治虫ゆかりの地を訪ねて(田浦紀子)
手塚治虫クイズ など

【開催レポート】治虫忌の集い【その1】

【開催レポート】治虫忌の集い【その2】

千里コラボ大学校講座第24回「阪神間における手塚治虫の足跡」2012年5月12日

千里コラボ大学校講座第24回
阪神間における手塚治虫の足跡

漫画家・手塚治虫は1928年11月3日、豊中市に誕生し、25歳で上京するまで関西で過ごしました。
豊中の東光院萩の寺、宝塚の旧手塚邸、「モンモン山が泣いてるよ」の舞台となった蛇神社、「陽だまりの樹」の舞台となった適塾など、阪神間に残る手塚治虫の足跡をご紹介致します。
2012年5月12日(土)14:00~16:15
千里文化センター「コラボ」3階 「第1講座室」
豊中市新千里東町1丁目2番2号
語り手  田浦紀子
定員:70人(先着順)
申込・問合せ先  千里文化センター「コラボ」
Tel:06-6831-4133 Fax:06-6832-4190

【開催レポート】第24回 千里コラボ大学校を開催致しました。

 

『紙の砦』を歩く ~仁川一里山健民修練所跡

きっかけは5月に豊中で行われた手塚関連イベントでした。たまたま隣席になった方に私は声をかけました。
「三島佑一さんですよね?」
北野高校で行われる六稜トークリレーで度々お見かけしていたからでした。三島さんは、手塚先生と同じく北野中学出身で、一年後輩の60期。当時の戦争体験を綴った『昭和の戦争と少年少女の日記』を出版されていらっしゃいます。三島さんの著書の中に登場するのが仁川の一里山健民修練所です。昭和19年8月3日から1ヶ月間、北野中学から50人と堺中学(現三国丘高校)から50人の生徒が体力増強の訓練のために連れて来られました。

仁川一里山健民修練所は、手塚先生の戦争体験を描いた『紙の砦』で教官ににらまれた生徒が送られる「特殊訓練所」として描かれています。一日中規律に縛られた生活に粗末な食事。『ガラスの地球を救え』では修練所の生活に耐えられずに、夜中に抜け出して宝塚の自宅まで戻ってお腹いっぱいご飯を食べてまた修練所まで戻ったと綴られています。この一里山健民修練所で、手塚先生は糜爛性白癬症(水虫の一種)に罹り、1週間か10日くらいで治療のため自宅に戻ることになりました。一時は腕を切断する寸前まで病気が悪化したため、一里山健民修練所は、手塚先生にとって全く良い思い出の無い場所だったのでしょう。
豊中でのイベント終了後、私は三島さんを追いかけました。
「仁川の一里山健民修練所跡、ぜひ行ってみたいんですが…。」
たまたま出会った偶然に「また今度」なんてあり得ません。
「じゃあ、今から行きましょうか?」
電車の中で三島さんは北野中学時代の思い出を語って下さいました。「マントク」というあだ名の厳しい教官がいて、これは「万年特務曹長」の意味。威張り散らしていても出世できない軍人だという生徒達の揶揄だったそうです。

阪急電車

のどかな日和の中、マルーン色の阪急電車に乗り、手塚先生のふるさと・宝塚へ。そこから今津線に乗り換え、仁川駅で下車。三島さんも仁川に降り立ったのは修練所時代以来、実に67年ぶりだったそうです。

仁川

土地には記憶というものがあります。歴史の積み重ねの中で、塗り替えられて街は一変しても、川や樹がその道しるべになります。地図もアテもなく、三島さんの記憶だけを頼りに、仁川沿いにひたすら東へ。一里山健民修練所跡は、その名から西宮市一里山町であろうことは推測しておりました。そして、その場所の手がかりとなったのは、土地の経緯から考えて今も公共施設が建っているであろう、ということでした。

一里山健民修練所

大阪府一里山健民修練所
後列右から2番目が三島佑一さん
(『昭和の戦争と少年少女の日記』より)

一里山荘

「ああ。たぶん、ここですわ。」
現在は「一里山荘」という老人ホームになっていました。施設のまわりをぐるっと一周し、すぐ裏にあった喫茶店へ。地元の方らしいマダムに尋ねてみるも、さすがに健民修練所のことは知らず。でもこんなことを話して下さいました。
「一里山という地名は宝塚市と西宮市の中心点からちょうど一里ずつの場所にあるという意味なんですよ。」

三島さんの疑問は、夜に修練所を脱走し、宝塚の自宅まで帰ってまたその日中に修練所まで戻れたのか?ということでした。それもまた手塚先生の創作だったのかな、とも思います。今は穏やかでハイソな街並みの仁川を歩くと、手塚先生の辛い記憶もまたひとつの風景として心に沁み入るのでした。

三島祐一さん

手塚治虫を語る会@原田しろあと館 2011年2月6日

手塚治虫を語る会

手塚治虫生誕の地・豊中にある登録有形文化財・旧羽室家住宅にて、手塚先生について語る座談会を開催。ゲストは地元の原田小学校出身、北野中学で手塚治虫さんと同級生だった岡原進さん。北野中学美術部で共に油絵を描いた楽しい思い出や、カメラマンの岡原進さんが月刊誌の取材で東京の虫プロを訪問し取材された際の写真を交えながら、アニメ「ある街角の物語」の制作秘話などをお話しいただきました。

2011年2月6日(日)
場所:原田城跡・旧羽室家住宅
プログラム
「阪急沿線における手塚治虫の足跡」田浦紀子
「同級生が語る手塚治虫の少年時代」岡原進
主催:とよなか・歴史と文化の会

のりみ通信 「手塚治虫を語る会」開催しました!

のりみ通信 治虫忌を偲び、豊中に集う

のりみ通信 手塚治虫を語る会@豊中(金沢みやおさんのレポー ト)

岡原進さん講演ラスト4分(You Tube動画)