「ザ・淀川」2017年10月号

大阪市淀川区のタウン誌「ザ・淀川」の取材を受けました。取材執筆は美人編集長の乃美夏絵さん。
『紙の砦』の冒頭シーンのモデルになった、阪急電車が中津駅に向かって走り込んでくる鉄橋の前で写真を撮っていただきました。手塚治虫が学徒勤労動員で通っていた大阪石綿工業大阪工場の跡地や、『紙の砦』の主人公・大寒鉄郎とヒロイン・岡本京子が話す淀川の河川敷を一緒に歩きました。
10月7日の「六稜トークリレー」のことと合わせて「虫マップ」や拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』の紹介記事を書いてくださいました。
掲載は「ザ・淀川」2017年10月号。9月25日より大阪市淀川区で全戸配布。
ホームページでPDF版が見れます。

“虫マップ”で手塚治虫ゆかりの地へ
10月7日は北野高校で講演会

マンガ家・手塚治虫さんが旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)の卒業生であることはご存知の方も多いはず。今春、同級生も多く登場する『親友が語る手塚治虫の少年時代』と題した本が出版され、10月7日には同テーマの講演会が毎月一回北野高校内にある六稜会館で開かれている「六稜トークリレー」で行われます。
講師は、本書の編集・著者の田浦紀子さん。約20年前より阪神間の「手塚治虫ゆかりの地」を訪ね歩くことをライフワークとし、それらを記した「虫マップ」を作成。紙やインターネット等様々な媒体で発信を続けています。
例えば、北野中学時代の体験が基となった『紙の砦』。時代は戦中、手塚治虫さんは学徒勤労動員により、中津にある大阪石綿工業大阪工場へ通っていました。田浦さんの「虫マップ」によると、冒頭のシーンは中津駅。鉄橋の上を阪急電車が「ゴーッ」と走る風景を今も見ることができます。主人公の大寒鉄郎が、ひと目惚れした岡本京子と話しているのは淀川を望む河川敷と想像できます。
「『紙の砦』には、過酷な勤労動員や空襲が激化していく様子など当時のエピソードが色濃く描かれています。大阪大空襲で多くの人の死を目の当たりにし、自分もいつ死ぬかわからない中で生に執着する。手塚先生にとっては生きることがマンガを描くことであり、戦争への抵抗が象徴された作品だと思います。戦争が終わって梅田の灯りを見たときの感動の大きさは、その後の作品でも梅田の風景が描かれ続けることから伝わります。未来の子どもたちへの反戦メッセージが込められているように思います」と田浦さん。
今回出版された『親友が語る手塚治虫の少年時代』は、「虫マップ」の延長として取り組んできた講演会の記録を編集したもの。林久男さん、岡原進さん、金津博直さんなど、北野中学時代の手塚治虫さんの同級生達が、自身の思い出話をいきいきと語っています。
「同人誌制作にいそしんだ六稜昆虫研究会での活動、教官をも感心させた絵の才能、そして太平洋戦争中の学徒勤労動員。いわゆる〝手塚治虫伝〟とは少し違う真実の姿にふれてもらえたら」と田浦さん。講演会当日は、手塚治虫さんの直筆イラストや北野中学時代の同人誌『昆蟲の世界』など貴重な展示の見学会も実施します。