毎日新聞(大阪版)2018年1月19日夕刊「舞台をゆく・適塾」

1月19日の毎日新聞(大阪版)の夕刊7面に適塾の取材記事が掲載されました。
年末に大阪大学適塾記念センターの松永和浩さんと私が取材に同行し、動画も撮影しました。
緒方洪庵に向かって緊張しながら挨拶する手塚良庵の姿が描かれた客間と、塾生大部屋でそれぞれ解説しています。

舞台をゆく  青き大志 育む揺りかご 適塾(大阪市中央区)=手塚治虫「陽だまりの樹」

 

大阪大学適塾記念センターの松永和浩先生と。

毎日新聞夕刊(大阪版)2018年1月19日(金)「舞台をゆく・適塾」

 

今年は手塚治虫(1928~89)の生誕90周年。後期の代表作「陽(ひ)だまりの樹(き)」は曽祖父の蘭方医、手塚良庵(後に良仙を襲名)を主人公に、幕末の激動期をたくましく生きる人びとを描いた物語だ。良庵が学んだ大阪の蘭学塾「適塾」は手塚の母校、大阪大のルーツでもある。福沢諭吉、大村益次郎ら多彩な人材を生んだ学びやをしのびに訪ねた。【反橋希美】

 お調子者で女性にだらしないが、患者と向き合う姿勢は真剣そのもの--。人間味あふれる医師として描かれる良庵は、常陸府中藩(茨城県)の藩医の息子として江戸で生まれ育つ。適塾入門は1855(安政2)年。その後は江戸で種痘所開設に尽力し、西南戦争に医師として従軍後、病死した。物語は良庵と、その盟友で倒れゆく幕府に忠誠を誓う架空の武士、伊武谷(いぶや)万二郎を軸に展開する。

 昨年末、大阪大適塾記念センターの松永和浩准教授(39)、手塚ファンで作品ゆかりの地を紹介するサイト「虫マップ」(http://mushimap.com)を運営する田浦紀子さん(39)と現地へ向かった。大阪・北浜のビル街にある町家は、良庵が「夢に見たアノ適塾!!」と興奮した外観そのものだ。今の建物は解体修復後の1980年5月に公開され、その約1年後の81年4月に連載が始まった。このタイミングを奇貨とし、綿密な取材を基に数々のシーンが描かれたことがそこここで分かる。

 適塾は、医学書の翻訳や種痘の普及と多大な業績を残した蘭方医の緒方洪庵が開いた。応接間に入ると目に入るのが、ドイツの医学書を重訳した書「扶氏経験遺訓(ふしけいけんいくん)」(複製)。「勉強に身が入らない良庵に、洪庵が1カ月貸し出すから暗記するように諭す場面がありました」との田浦さんの言葉に、「全30巻あるから大変でしょうが、蘭学者は皆読みたがったそうです」と松永さん。そういえば作中、史実でも良庵と同窓生だった福沢諭吉が「うらやましいぞッ」と詰め寄っていた。

 奥の客座敷は、良庵が緊張しながら洪庵にあいさつする場所だ。床の間の「扶氏医戒之略(ふしいかいのりゃく)」は先述の「扶氏~」で医師の心がけを説いた部分を抄訳した文章だが、洪庵自ら実践したという。松永さんは「名利を顧みず己を捨て人を救わんことを願うべし、と崇高な理想が書いてあります」と解説する。

 作中で何度も良庵が転げ落ちた急な階段を上ると、2階には塾生の大部屋がある。現在は27畳、大正期の「軒切り」(家屋縮小工事)前は32畳だったといい、塾生は1人1畳の空間を与えられ寝起きした。シラミは「塾中永住の動物」で身なりの立派な塾生は少ない。だが勉学には真面目で、蘭書の会読がある前日には塾に1冊しかない蘭和辞典に皆が群がる--。福沢の自叙伝「福翁自伝」で回想される生き生きとした様子は、「陽だまり~」にも生かされている。

 「武士に限らず誰をも受け入れたうえ完全な実力主義で、寝る場所も成績で決める。『自主自立』が適塾最大の特色でした」と松永さんが言うと、田浦さんは「全国各地の若者たちが切磋琢磨(せっさたくま)していた姿を思うと、改めて向上心を持つ大切さを教えられる気がしますね」。

 適塾の名は、洪庵の号「適々斎」に由来する。「己の適とするところを適とする」との意味通り、信じる道へ進む若者を育む気風は今の大阪にもあるか。隣接する公園から塾を見守る洪庵像を見上げ、自問した。

 

忘れ得ぬこだわりと執念…手塚治虫の元アシスタント 野村正さん(61)

私が手塚プロダクションに入社したのは1982年で「陽だまりの樹」の連載中でした。手塚先生は週刊誌の連載をいくつも抱えていたので、昼と夜にそれぞれ10人ほどのアシスタントが作業しましたが、締め切りは守れない。先生のためだけに、印刷所が夜中も輪転機を待機させていました。

多忙の中でも、作品へのこだわりは妥協がなかったです。「陽だまり」の資料は段ボール2、3箱あったでしょうか。背景は資料写真を見ながらアシスタントに指示を出すのですが、複雑な背景を描く時は直接ペンを入れる時もありました。本当は全部自分でやりたいんです。1巻目の単行本を出す時、あるシーンのはかまの柄が史実とは違うということになり、深夜にアシスタントを集めて描き直したこともありました。「これが巨匠の現場なんだ!」と驚きましたね。

亡くなる前も病院のベッドの下に原稿を隠して仕事していました。その時の鬼気迫る姿はものすごくて。先生にたった一度だけほめてもらったことがありますが、その時の筆を運ぶ感覚が今も私の指針です。

 

アクセス
京阪電車、地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」から徒歩5分。
*午前10時~午後4時。月曜休。参観料は一般260円、高校・大学生140円、中学生以下無料。