読売新聞2017年11月19日のよみほっと日曜版(東京本社版)の「名言巡礼 マンガの神様 生命見つめ」で、千吉稲荷神社など、宝塚の手塚治虫ゆかりの地が取り上げられています。(文・西條耕一 写真・岩佐譲)
2面で、拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』が引用されています。
手塚治忠?手塚泣虫?
手塚治虫が死去してから30年近くたつが、今もマンガの復刻版だけでなく、往年の手塚について書かれた著書が数多く出版されている。
今年4月に出版された「親友が語る手塚治虫の少年時代」(和泉書院)は、宝塚など手塚ゆかりの地を研究する田浦紀子、高坂 史章さんの2人が編著者。手塚の弟・妹や、宝塚時代の同級生の講演などから手塚の若い頃のエピソードを数多く集めた労作だ。
中でも、手塚の同級生の話として、本名の「治」からペンネームを「治虫」にした詳細な経緯が面白い。
小学4年の時、昆虫図鑑に載っていた、目玉が大きくてひょろ長いオサムシを見た級友が手塚の顔つきや体形に似ていたと思ったのか、「手塚オサムシや」と冗談を言い、手塚が意気揚々と「命名 手塚治虫」と黒板に書いた、という話が披露されている。
手塚は「治虫」を「じちゅう」と読まれるのを嫌った。また、手紙の宛名が何度も「手塚治忠様」で来るのに閉口したという。出版物にも名前の誤植は数多く、自伝によると、ある新聞が「手塚泣虫」と書いたことがある。それが所得番付の記事だったらしく、「いくら税金で泣かされているとはいえひどい」という笑うに笑えない逸話も。
今年は国産アニメが日本で公開されてからちょうど100年。来年は手塚生誕から90年となる。マンガやアニメの作品だけでなく、こうした著書を通して手塚への関心が高まることを期待したい。
【読売オンライン】手塚治虫「ガラスの地球を救え」
【動画】名言巡礼 手塚治虫「ガラスの地球を救え」から 兵庫県宝塚市