登場手塚作品:『アドルフに告ぐ』(1983~1985)、『どついたれ』(1979~1980)、『ブラック・ジャック』「アリの足」(1974)
昭和20(1945年)、手塚治虫は、中之島にある大阪大学医学部附属医医学専門部に入学し、自宅の宝塚から大阪まで阪急宝塚線で通学した。毎日通る阪急電鉄梅田駅近辺は、手塚治虫にとってよほど思い出深い場所だったのだろう。多数の漫画作品やエッセイなど、作中に何度も登場するのが梅田駅である。阪急電鉄梅田駅は、現在はJRの北側にあるが、1971年までは、現在の阪急百貨うめだ本店の南端にあった。
大阪梅田の阪急ビルディングは、昭和4(1929)年、世界初のターミナルデパート(鉄道駅を併設した百貨店)として誕生した。地上8階地下2階建のビルで、当初は阪急のマルーンカラーに近い濃紫褐色のタイルが外観に使用されていた。その後、次々に増改築を繰り返して店舗面積を拡大。戦後、外観はクリーム色のタイルに張り替えられた。
この旧阪急ビルディングの外観が、『アドルフに告ぐ』、『どついたれ』、『ブラック・ジャック』「アリの足」に描かれている。
『アドルフに告ぐ』第11章で、特高に捕まった峠草平は、曽根崎警察署に勾留されるが、彼の無実を信じた仁川警部の計らいで仮釈放となる。「当面の落ち着き先がないのであれば」と仁川は自宅に来るよう誘い、二人は阪急電車の梅田駅に向かう。このシーンで描かれているのが、都島通に面した東側のディテールが『アドルフに告ぐ』に描かれている。
また、『どついたれ』は、昭和20年の大阪空襲のシーンで始まるが、冒頭ページで火災を受けた阪急ビルディングの遠景が描かれている。
『ブラック・ジャック』「アリの足」のラストシーンで、小児麻痺の少年・光男が広島からの徒歩旅行の末にたどり着いた大阪で、梅田の阪急百貨店前の風景が描かれている。村野藤吾が設計した梅田吸気塔の背景には「阪」の字、そして阪急電鉄の旧社章が描かれている。