手塚兄弟の間で「猫神社」と呼ばれていた千吉稲荷神社。少年時代、手塚兄弟の昆虫採集の ルートであった。弟・手塚浩さんの話によると、境内の中に樹液 が出ているクヌギが一本あり、夏場はそこに蝶や甲虫が集まるためよく兄弟で訪れたとのこと。御殿山が住宅街と化してしまった現在、最も当時の様子をとどめている場所で言える。
千吉稲荷について、手塚治虫さんの小学校時代の同級生、大森俊祐さんはこのように語る。
「小生の記憶に残っているのは、手塚君が本格的に昆虫採集に取り組む以前の、小学校二年生 の頃、彼の家のそばの溝で沢ガニ取りをしていて、足を延ばして千吉稲荷の前の水路まで行って、沢ガニを探したことです。一面のレンゲ畑の美しかった光景が はっきりと印象に残っています。」
「千吉大神参道」の看板を曲がると、田圃の真ん中に続くあぜ道が続く。 木々の間に続く細い石段の中に何本もの真っ赤な鳥居が続き、その先に祠がある。この千吉稲荷は、明治初期に火災が頻繁に起こったために火防(ひぶせ)の神として祀られ、以後火事が無くなったとのこと。毎年8月19日には、近くの川面公園で「千吉踊り」を奉納する。