大阪市立科学館 カール・ツァイスⅡ型プラネタリウム

登場手塚作品:『漫画天文学』(1957)

伴俊男『手塚治虫物語』より ©手塚プロダクション

手塚治虫はエッセイ「懐かしのプラネタリウム」(講談社手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』所収)の冒頭でこう語っている。

淀屋橋交叉点の角のビルに石原時計店という立派な店がある。これは戦前、心斎橋にあった老舗で、現在の社長の石原実氏は、ぼくの小学校のクラスメートだった。彼がぼくを星の世界へいざない、プラネタリウムと結びつけてくれたのである。

昭和12(1937)年、四ツ橋に大阪市立電気科学館が開館。その目玉となったのが日本初のプラネタリウム「カール・ツァイスⅡ型」である。
手塚治虫が電気科学館へ行くきっかけとなったのが小学校の同級生、石原実さん。現在、淀屋橋にある[石原時計店]の社長で、小さい頃から大変な科学少年だった。
当時、四ツ橋から徒歩7分の心斎橋南詰に店があり、「今度近くに電気科学館ができたから」と誘われ、石原さんの父親に連れられて遊びに行ったのが最初。以来、手塚少年は天体に魅せられ、通いつめるようになった。プラネタリウムは少年の心に強烈な印象を残したのだろう。手塚はのちに同機を『漫画天文学』(昭和32年・1957年)の中に登場させている。


また、電気科学館の会報誌『月刊うちゅう』(1985年7月号)にその思い出を寄稿。このことがきっかけで、再び両者の交流が始まった。

昭和62(1987)年4月4日、電気科学館50周年記念の手塚の講演会がプラネタリウムホールで実現した。講演中には、黒板に貼り付けられた模造紙にアトムのイラストをサラサラと描いたそうである。


その2年後に電気科学館は閉館したが、手塚が魅せられたプラネタリウムは、後継施設である大阪市立科学館で展示保存されている。手塚治虫の人生とともにあった電気科学館の歴史は、中之島に受け継がれているのだ。

 

大阪市立科学館

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