【大阪府池田市】


昭和10(1935)年4月、手塚治虫は大阪府立池田師範附属小学校(現、大阪教育大学付属池田小学校)に入学した。宝塚の自宅から阪急電車に乗っての電車通学。ここで、一緒になった大森俊祐さんと終生の友人となる。池田附属小学校は当時クラス替えがなく、手塚は西組48名のクラスメイトと共に6年間を過ごした。

1年生から5年生の1学期までを過ごした、池田附属小学校の建石校舎は、現在の阪急文化財団池田文庫の西側にあたる。

5年生の時に城南町(現在の市立池田病院の場所)鉄筋コンクリートの新校舎が完成し、生徒が各自の机と椅子を持って夏休みに引っ越しをしたという。活発な少年たちは新校舎でたくさん遊んだ。「秘密結社ごっこ」遊びのリーダーだった石原実さん(石原時計店社長)もまた終生の友人となった。石原さんの自宅は池田にあり、昼休みによくクラスメイトと共に遊びに行ったそうである。