登場手塚作品:『モンモン山が泣いてるよ』(1979)
蛇神社は『モンモン山が泣いてるよ』の舞台となった。主人公の少年・シゲルと蛇神社のヌシ、ヘビ男さんとの心の交流が描かれる。この短編は、手塚が愛した宝塚の御殿山への郷愁が凝縮された作品である。
物語では蛇神社のそばにポプラの木があって、そこへポプラ 相撲のための葉を取りに行ったという設定になっているが、実際にここに残るのはイチョウの巨木である。この巨木は宝塚市の保護樹木に指定されている。
弟の手塚浩さんはこう語る。
「「モンモン山」という 名前の発祥は、父・手塚粲です。私達兄弟が、親の言う ことを聞かなかったり、悪戯などした場合に父親が使った「脅し・諌め」のせりふ。「ほら、 聞け。遠くでモーンモーンと鳴く声が聞こえてだんだん近寄ってくるだろう。あれはモンモン山がお前たちを怒っているのダ。いつまでもそんな我がままを言う(する)と、モンモン山に連れて行かれるゾ。そら、もうそこまで やって来た!」などと言われて、こわがったものです。きっと、父親も小さいころ悪戯などした際に、そのまた父親(私達の祖父・手塚太郎)にそういわれて脅かされたのでしょう。」
『モンモン山が泣いてるよ』では軍用道路を造るために蛇神社は取り壊され、ポプラの樹も切り 倒されたという話になっているが、ここは今でも民家の脇に ひっそりと残っている。ただ、1995年の阪神淡路大震災によって祠が倒壊し、何年もの間そのまま放置されてきた。しかし、1998年の秋、地元の協力によって蛇神社は再建された。
余談ながら、『モンモン山が泣いてるよ』の冒頭で登場する二人のガキ大将(春巻と川縞)に は、同級生で実在のモデルがいる。そして、池田附属小学校の校庭には実際ポプラの樹があり、秋になると「ポプラ相撲」が華々しく繰りひろげられたというのも実話だそうである。
(『親友が語る手塚治虫の少年時代』カラーページv,p.15参照)