手塚治虫は、昭和3(1928)年11月3日、大阪府豊中市に三人兄弟の長男として生まれた。誕生日が当時の「明治節」であったことから「治(おさむ)」と命名される。二年後の昭和5(1930)年10月に弟の浩、四年後の昭和7(1932)年9月に妹の美奈子が生まれている。
生家があった場所は、豊中市本町一丁目付近と思われる。手塚家はその後、豊中市南桜塚一丁目に転居する。場所は現在の東光院(通称・萩の寺)付近で弟の手塚浩さんは「お寺のポクポク音が怪談じみて聞こえ、後の手塚漫画に繋がったことでしょう」と語る。
1932年11月、関西大学の創始者の一人として知られる法律家の祖父の手塚太郎が死去する。これをきっかけに、祖父の自宅のあった宝塚市御殿山に一家揃って引っ越す。
豊中は手塚治虫生誕の地であると同時に、後に妻となった岡田悦子さんの実家があった場所でもあり、そのため、手塚作品ゆかりの地が点在する。