登場手塚作品:『紙の砦』(1974)
通年動員先の工場はドコ?
手塚治虫の通年動員先の工場はどこにあって、手塚がどんな作業をしていたのか? 金津博直氏の講演の資料展示に地図を提供し、工場の位置や当時の町の様子などを来場者に見てもらった。
その後、大阪石綿工業は会社合併や財閥解体などを経た後、「浅野スレート(株)大阪工場」として昭和47(1972)年まで操業していたことが分かった。
以上の4つの地図より検証したところ、手塚が学徒勤労動員で通っていた大阪石綿工業大阪工場の跡地は、現在の「ライオンズマンション中津」付近であることがわかった。