【長野県上田市】手塚太郎金刺光盛ゆかりの地

登場手塚作品:『火の鳥・乱世編』(1978~1980)

長野県上田市は、平安時代末期の武将・手塚太郎金刺光盛とその一族が居を構えていた土地である。手塚太郎光盛は、手塚治虫の先祖にあたり、『火の鳥 乱世編』で木曽義仲に「火の鳥が見つかった」と進言するワンシーンで登場する。

手塚家のルーツについて詳しく知るきっかけとなったのが、2016年2月12日放送のNHK「ファミリーヒストリー」であった。番組によると、長野県上田市には「手塚」という集落があり、その地名から「手塚氏」と言われるようになったとのこと。また、須川地区には「手塚姓」の家族が今も多数存在するそうである。そして、『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』の著者ある上原榮治さんの案内で、上田市内の手塚家にまつわる旧跡を訪ねることとなった。上原さんは、母方姓が「手塚」でご自身の先祖が手塚光盛だそうである。

上原榮治著『手塚太郎金刺光盛―手塚一族の後裔はどこへ?―』(2015年 グリーン美術出版)

金刺姓について
6世紀頃、科野国造の一族は、欽明天皇の「磯城嶋金刺宮」に仕えていた。なにかしらの功績が認められ、「金刺」の姓を頂いた。当時、金刺一族は長野県の北部地方(現在の千曲市、長野市付近)に勢力をもっていた。これが、徐々に長野県中部地方(上田、諏訪、伊那地方)に勢力を移していった。
長野市にある善光寺は、諏訪の金刺氏と水内、北信濃を指す。水内の金刺氏の2大勢力が建立したとの説を長野県の歴史学者・小林計一郎氏は『善光寺さん』 (1973年・銀河書房)で 発表している。また、善光寺近くの武居神社と湯福神社は東門の齋藤家、西門の齋藤家を名乗っているが、本姓は「金刺」である。
「手塚太郎金刺光盛」も本姓は「金刺」である。中世武士の名乗りにおいて、「まず私は手塚に住んでいて、長男だ、そしてもとの姓は金刺で、名は光盛だ」と言っているわけである。

『火の鳥・乱世編』手塚太郎光盛登場ページ ©手塚プロダクション

手塚太郎金刺光盛ゆかりの地

手塚治虫の略系図

 

上原榮二さん

長野県上田市手塚

バス停「手塚」

西塩田・別所温泉の案内マップ

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