―手塚先生のアシスタントになったきっかけを教えてください。
『週刊少年チャンピオン』に連載されていた『プライム・ローズ』にアシスタントの募集広告が載っていて応募しました。1983年入社で同期は、吉住浩一、坪田文太、木本佳子、福田弘幸です。それまで漫画も描いてはいましたが、なかなか役に立たず、手塚プロの仕事を通して基礎から勉強させていただきました。24歳で入社して5年間勤めましたので、後に入社した梅村真由美さんや塚本聡子さんなどとも一緒に仕事しました。最後のアシスタントのラウラさんとは入れ替わりです。1986年放送のNHK特集「手塚治虫・創作の秘密」に、手塚先生の部屋の玄関で原稿待ちをしているのが映ったことがあります。
―『アドルフに告ぐ』でご自身が関わったページを教えてください。
最後にカウフマンとカミルが決闘するシーンで崖を描きました。自然物を描くのが苦手で困っているところ坪田さんに助けてもらいました。他にはカミルが本多芳男を墓場で追いかけているシーンなども描きました。少年のアドルフ・カウフマンが握っているワルサーP38も描きましたが絵が下手で、手塚先生に「バカヤロー」って原稿に書かれてダメ出しされたことがあります。
―手塚先生との思い出やエピソードを教えてください。
大雪が降った日に須崎さんの運転で手塚プロに向かう途中、車のタイヤのチェーンが外れて、車が電信柱に当たり、動けなくなったことがあります。先生に「雪の中を手塚プロまで歩いていくか、それとも私と食事するか」と尋ねられ、緊張した思い出があります。手塚先生は、何年一緒にいてもオーラがあって、後にも先にもあんなに存在感のある人と出会いませんでした。
(2018年6月3日電話取材、2018年9月10日逝去)