ベルリン・オリンピアシュタディオン

登場手塚作品:『アドルフに告ぐ』(1983~1985)

現在のベルリン・オリンピアシュタディオン。サッカースタジアムとして活用されている。

『アドルフに告ぐ』第1章は、協合通信社の記者・峠草平が、1936年8月にドイツで開催されたベルリン・オリンピック取材に派遣される場面から始まる。

オリンピックに大きなプロパガンダ効果を期待したヒットラーは、短期間でスタジアムや選手村、空港や道路、鉄道やホテルの建設を進め、当時は実験段階であったテレビ中継などの受け入れ態勢の整備を進めた。

スタジアムでは、棒高跳びやハンマー投げなどの陸上競技やサッカー競技が開催された。またスタジアム横にはプールが併設され、水泳競技が行われ、日本の前畑秀子が金メダルを獲得した。レニ・リーフェンシュタールが監督したベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」にはスタジアムで行われた開会式や陸上競技の様子が克明に映されている。

『アドルフに告ぐ』第1章 1936年8月に開催されたベルリン・オリンピック。水泳で金メダルを獲得した前畑秀子を応援する「前畑がんばれ」というフレーズは当時のラジオ中継で有名になった。 ©手塚プロダクション

 

ベルリン・オリンピックの解説パネル

ベルリンオリンピック・・・昭和11年(1936)年8月1日~16日

ヒトラーは当初オリンピックを「ユダヤ人の祭典」であるとしてベルリン開催に難色を示していた。しかし、側近から「大きなプロパガンダ効果が期待できる」との説得を受けて開催に同意。オリンピックを「アーリア民族の優秀性と自分自身の権力を世界中に見せつける絶好の機会」と位置づけ、国の総力を挙げてインフラ整備などの開催準備を進めたほか、人種差別政策を一時的に凍結して まで大会を成功に導こうとした。聖火リレーが考案されたのも、この11回大会が初めてであった。